カテゴリ:飲み食い
その日であるきょう、まずは大寝坊をし目覚めたのが7時半ごろだった。かみさんがコーヒーが入ったわよと声を掛けてくれたがさらに1時間ほどそのままベッドから出ずラジオを聞いていた。 平日の朝ののんびりタイム。じつになんとも快適なことであった。 起きあがって時計を見ると9時近くになっていた。 平日の休みをかみさんと一緒にとるようにしたのは「ふたりで外出してちょっと遊ぼう」と決めたからだ。 遊びのひとつは前に住んでいた新中野に出向き、行きつけだった中華料理店で昼めしを喰おうというもの。 もうひとつは丸の内へ『マネとモダン・パリ(Manet et le Paris moderne)』を見に行くことだった。 10時54分発の京王線特急で新宿へ、丸ノ内線に乗り換え新中野へ。八王子へ移住する前に新中野で暮らしていたころ、この区間をどれほどしょっちゅう利用したことか。丸ノ内線の座席に座った瞬間、気分がそのころの感覚に立ち返っていた。 つぎの西新宿駅は東京医大病院にかようためにさんざん乗り降りしたところだ。 そのつぎが中野坂上で、この駅にかかわる場面はここに書ききれるものではない。 そうして、なつかしい新中野に到着する。 地下鉄丸ノ内線を新中野駅で降りるのは何年ぶりのことだろう。八王子へ越してから2回はここで下りた。引っ越し後の後処理と歯医者に行ったときだ。 それから5年は経っている。 5年ぶりの新中野駅だ。 ホームに経ったときはその5年間が一気に消え去るようだった。きのうと同じようにきょうも最寄り駅で地下鉄を下りたという、そんな感覚だ。 しかし、いうまでもなくそれは大いなる錯覚。 じっさいには目には見えない山をいくつか越えたことになるのだろう、空気感がちがっているはずで、見慣れた光景とはいえ、あたりを見渡したことであった。 じっさいのところぼくは、荻窪方面ホームにエレベーターがあることも知らなかったのだ。 肺気腫が発見されたのはがん手術で入院したときだったから11年前になる。 その後、新中野駅の階段がだんだんきつくなり、たとえば銀座で呑んで酔っぱらい、電車で帰れば帰れるのに階段を上る苦しさを考えてタクシーで帰ることがよくあった。 それがいまは階段ではなくエレベーターで地上へ上がれる。 感激してしまうよ。 エレベーターは杉山公園側の出入り口に設置されていた。もしもあのままここに住んでいたら自宅とは逆方向になるけれど、そんあことは気にせずよろこんで利用しただろうと、。エレベーターの到着を待ちながら思った。 きょう新中野へ行くことにしたのは、ここで暮らしていたころ行きつけだった店で昼食を摂るためで、きょうはその1軒である「銀龍」へ行った。 上の写真が店の正面。 5年前と変わらないガラスの引き戸を開けると働き者のふたりがあのころのまんま、いる。 おじさんとおにいさんで、かみさんが先、ぼくがつづいて店内に入るとふたりがにこっとしてくれたのがわかった。 「ご無沙汰しました」というと「しばらくでしたねぇ!」と返ってくる。 かみさんと、前によく座った隅のテーブルについた。 注文内容もあのころと同じ。 タンメンと餃子とチャーハンとニラレバ炒めを1人前ずつとり、ふたりで食べる。 5年ぶりに食べたタンメンがいきなりうまい。 ひとくちでいえば濃淡が適度というに留まる味なのだが、この適度具合の加減がみごとなのだ。重要なスープの味が濃くなく薄くなく、具の素材が活き活きし、その素材が人参ひとつとってもまことに豊富。 レバニラ炒めがまたすばらしい。 味はやはり濃くなく薄くなく、分厚いレバーがたくさん入っているところへニラの風味がぐんと映え、口中で噛みしめるとたっぷりあるもやしやニラがばりばりと音を立てる。そこへさらにきっちり焼いたレバーの味が加わるわけで、いやもう、じつにうまいのである。 この店じゃないところでニラレバ炒めを食べたことは数え切れなくあるが、この店の味がどうしても忘れられず、いつも不満なのだった。 餃子がまた、わぁここの味だぁと叫びたくなるほどうまい。 そう、あのころ銀龍にくると、まず「タンメンと餃子」と必ず注文すしたものだった。 ラーメンもここでしか食べられない品なのだが結局ぼくはタンメンに親しみ、ここで食べる決まりの料理となっていった。 そしてチャーハン。 深いといえばいいのか、米の口当たりがあんばい良く、醤油味が目立たず、卵を食べればちゃあんと卵の味が口の中いっぱいに行きわたるのだった。 食べはじめて間もなく、かみさんはたまらなくなり「ビールたのんでいい?」と聞く。もちろんと答え、冷え冷えのサッポロビールが出てくる。 残念ながらぼくは呼吸が苦しくなるので飲まない。 むしゃむしゃ喰い、タンメンのスープを最後の一滴まですくい取り、テーブルに並んだ食器のすべてがきれいに空っぽになった。 その景色も5年前を思い出させる見慣れたものだった。 支払いを済ませて店を出ると、先に出たかみさんが男のひとと話している。 「河野さんよ!」というのでよく見ると、やぁたしかに河野芳樹さんだ。 蓮太郎くんの保育園時代から一緒だった大樹くんのお父さんで、近くに事務所がある。我々が新中野にいるころも、よくこうやってばったり出くわしたものだった。 お茶を飲もうと道路を渡り、これも5年ぶりのサイゼリアに入った。 聞くと河野さんは八王子で過ごした時期があるそうで、何と南多摩高校の卒業生。陽次郎くんの先輩なのであった。 「いい高校ですね」というと、打てば響くのたとえどおりに「いい高校でした」と答える。河野さんが通っていたころ服装は自由だったそうだ。やがて制服ができ、去年だったか、中高一貫校となって、ま、陽くんにいわせると「もう南多摩じゃない」という情況となってしまったようだ。 河野さんと別れたあと、前に住んでいたあたりに行ってみた。 マンションに至る小路に入って間もなく、3軒ほど手前の家で玄関を開けて出てきた奥さんがかみさんを見て「あらぁ!」という。かみさんも挨拶をし、立ち話が始まった。 ぼくはゆっくりとそのまま歩き、長年暮らしたマンションの前にさしかかると向かいの家の木戸さん夫人が鉢植えの世話をしているではないか。ちょうどそこへ、立ち話を終えたかみさんの声が聞こえた。 「木戸さん、いないかな」 ぼくは「いるよ」と答えたら当の木戸さんの奥さんがこちらを振り向き「あらぁ!」と声を上げる。 かみさんとは仲良しなのですぐに話が弾んだ。 「上がってお茶でも」といってくれるのを「これから東京駅・丸の内まで行かなきゃならなくて」と断り、こんどは必ず寄ってねと見送られて中野駅に向かったのだった。 東京駅に着くころ、雨が本降りになっていた。 丸の内のこの界隈もずいぶん変わったなと思いながら三菱1号館を目指す。 まるでヨーロッパのどこかのように衣替えした三菱1号館で『マネとモダン・パリ展』を見たが、それについてはあらためて書くことにしよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.06.19 13:40:10
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