カテゴリ:飲み食い
2日つづきで有給休暇をとり、土日と合わせて4連休となった休みの、きょうは最終日である。 たっぷり休んだのにあっという間だったなぁ、4連休。 コーヒーを飲み、7時半にはパソコンを起動。 そのとき同時にMDを聴き始めた。 デッキに差し込んだのはブラームスの『弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 Op.18』だ。演奏はこの曲を聴くのに定評あるアマデウス弦楽四重奏団。冬の朝、起き抜けの気分にブラームスの旋律は快かった。 それからおよそ7時間後、読み始めたばかりの梅津時比古著『フェルメールの楽器』(毎日新聞社刊)でこんな文章に出っくわした。 「音で愁いを描いたのはブラームスだが、どちらかというと死を背景に枯れゆく人生の寂しさを歌っていて、秋の愁いにふさわしい。春の愁いは、シューマンだろうか。」 これはシューマンの『幻想小曲集 第1曲イ短調』について書かれた文章なのだが、ブラームスを聴いて間もなかったぼくは「音で愁いを描いたのはブラームスだが……」のひと言に立ち止まる感じだった。 愁い、か。 久しく聞かないことばだ。 この本のこの項には紀貫之のこんな歌も引用されていた。 さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける さくら散る空間を海にしてしまう想像力、すごいな。 ところで、きのうのことを書き足しておきたい。図書館まではきのうのブログに書いたが、そのまま帰ってきたのではなかったのだ。図書館を出てから本とCDを入れた袋を下げ、かみさんとふたり、ぶらぶらと駅のほうへ歩いていた。昨年暮れ、南口にできたスーパーにでも行って食材の買い物をしようということになっていたのだ。 不意に、かみさんが「ああ、おなかかがすいたぁ」と嘆くように声を上げた。 ぼくはそんなに空腹ではなく、ましてや声を上げるような状態とはほど遠かったけれど、ま、食べることならいつでもOKだから「どこかに入ろうか」と応じたのだった。 すると彼女はいま図書館から借り出したばかりのムックが特集している八王子の中華料理店ページを拡げ、人気度第1位と第2位の店のどちらかに行かないかという。 異議のあるはずはない。 どちらにしようかと額を寄せ合った結果、いまいるところから近いという理由で第2位の店に決めた。 で、そこに向かって歩き出したのだが瞬時のうちに、そしてほぼ同時に、ふたりとも気が変わったのだ。 第2位の店はそれなりにおいしいのだろうが、しかしホントにうまいか? 予定通り買い物をして、家で食べたほうが満足の度合いが高いのではないか? そうだそうだとなって、ゆっくりと南口のスーパーへ向かう。 かみさんが腹ぺこらしいので急ぎたいけれど、すぐ息が上がるのでぼくが急げない。 まず、帰宅するなり食べられるものとして穴子寿司としめ鯖の折を買う。 それから豚肉のブロックを2つ、買う。 あとはまぁ、野菜あり飲みものあり、発熱で寝ている陽次郎くんにあげるチョコレートありで、書いて行くときりがない。 そうして持ちきれないほどの買い物袋をっかえて帰ってきて、そのころはぼくも腹が減ってきていて、幼君と3人、食べた食べた。 まだ午後の3時過ぎだったのに、食べ終えると「きょうは夕飯なしだぁ、もう入らない!」といい合った。 その豚肉ブロックを圧力釜で煮込んだ角煮(骨つき)がきょうの昼めし。 まことにうまい。 再びむしゃむしゃ食べた。 いま、夕方。 空気が澄んでいたのでそらを見に出たら富士山がくっきりとした輪郭を保っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.01.18 21:52:59
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