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2011.05.12
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カテゴリ:飲み食い
 先月21日、町田へ秋山進さんの版画展を見に行った。
 秋山さんを共通の知人とする旧友3人にあらかじめ声をかけ町田で待ち合わせたのであった。
 そのひとり遠藤征行さんは先約があって来られなかったけれど、木村翠さんと森田吉実さんからは気持ちのよい返信があり、当日はたのしい再会となった。

 会うなり翠ちゃんがいったことが「つみきの同窓会のことを決めちゃいたいの」ということで、雰囲気としては息せくように勢いよく、早口でいっていた。
 展覧会場でオッちゃんとも会い秋山さんのお話を聞いたりし、会場を出て近所の呑み屋に入ってからその話になり、数分後にはそこで決められるべきことのすべてが決まったのだった。

 日取りは5月12日、つまりきょう。
 場所は浅草むぎとろ
 時刻は午後1時。

 きのうから天候が崩れ、朝から雨がしょぼしょぼと降っている。
 西のほうでは大雨だそうで鳥取県の被害がテレビニュースで報じられたりしていた。
 八王子は皮膚に感じる程度の降りかた、バス停まで傘をささなくても平気であった。
 京王線から都営地下鉄を利用して浅草に向かう。

 都営新宿線を馬喰横山駅で都営浅草線に乗り換えるのだが、その通路を歩きながら、去年の4月下旬に歩いて以来だなと思っていた。とにかく八王子に住んでから都区内に出てくる機会が少なくなっている。
 それでも浅草にはこの1年のうちに4、5回は来ているのかな。

 浅草駅で降りてからエレベーターを探すのに手間取る。
 去年もそうだった気がするけれど、その前には都営浅草線を利用しなかったからきょうが2度目の体験で、ま、慣れていないわけだ。

 ようやくエレベーターを見つけて地上に出ると雨が降っている。
 傘をさし、ゆっくり歩く。
 駒形橋の信号を待ちながら見ると正面にむぎとろ(上の写真)、右手奥に例のスカイタワーが割と低いところで雲に隠れている。

 3階の座敷につく。
 参加者16人。
 オッちゃん(森田吉実さん)、遠藤征行さん、清水さん、秋山進さん、石垣容子さん、佐藤春子さん、保川ゆきこさん、佃信一郎さん、中島きみ子さん、森田郷平さん、川久保潔さん、鈴木英輔さん、青木都美子さん、岸田小枝子さん、翠ちゃん(木村翠さん)、ぼく。

 みんな劇団つみき座のメンバーだ。
 つみき座は戦後まもなく設立された児童劇団。
 きょうがお誕生日の鈴木英輔さんはもちろん、森田郷平さん、オッちゃん、小枝子ちゃん、翠ちゃんも、創立間もないころからのメンバーで、そういうひとたちがこの席にずらりといるところがすごい。
 ぼくの入団はかなり遅く、昭和28年の夏、だったと思う。
 そのあとに入ったひとはここにいる中では都美子ちゃんだけかな。

 常連の参加者だった大先輩、皮膚科医師の太田有吾先生が亡くなったことを悼んで最初に黙祷をしましょうと翠ちゃんがいい、みんなで1分間の黙祷をする。

 目を閉じる1分間というものはすごいなと、黙祷をするときいつも思う。
 太田先生とのシーンが思い出されるのはもちろん、それがまぶたの奥、つまり脳髄のどこかに刻印される実感が生まれるところが重要だ。

 供された料理は薬膳で、きみ子ちゃんがいうにはお店の改築後4周年の記念に考案した献立とのこと。
 直接の印象はぼく向きにうまい、ということだった。
 理由は、何であれ口に入れた瞬間、これは滋養にあふれているなぁと思えること、ひとつひとつが薄味ながらこくがあるところ、など。
 しかしうまい。
 たまらず、隣に座るきみ子ちゃんにいつにもましてうまいといってしまった(余計なひと言だったが)。

 いつものように、みんなが思うところを短く喋るひととき。
 何年間もこのひとときを経験しているのだが、いつも必ず「それは知らなかった、聞いてよかった」と思える話が聞けることに驚きを禁じ得ない。

 保川ゆきこさんに劇団銀河座って知ってますか? と聞かれ、ごめんなさい知らないと答えると、昭和28年に知り合う以前に劇団銀河座で劇にかかわっていたのだという。
 ひゃあ、まったく知らなかったよ。
 子どものころを思い出すと、このひとはもの静かに佇んでいる姿ばかりが思い出されるのだが、そうか、すでに稽古だとか舞台だとかを経験していたわけだ。いま信州・上田に住んでいることは久しぶりに会って聞くのだから知らなくて当然だが、定期的に稽古場へ通うということをとっくに経験していたとは、やはり聞いて驚く話なのだった。

 さらにたまげたのは都美子ちゃんの話で、このひととはむかしもその後もずいぶんいろいろな話をし合った仲だと思っていたが、なんのなんの、会う機会もなかった数十年の間、彼女はぼくなんぞがまったく想像もできない半生を歩んでいたのだ。

 高校生のころマルクスを読んで引き込まれ、大学は経済学部へ進んだ。
 部活にも夢中になったとはいえ学ぶことがおもしろかったらしい。
 卒業後は経済コンサルタントの会社に入って、これからが立派なのだが、仕事をするうちにふだん出会う仕事相手が大手企業の役員クラスばかりで「人生が決まってしまったひとびと」と思えたのだという。

 なるほどねぇと思いながら聞いていると、だから辞めたのという。
 辞めて勉強をやり直したの。
 で、先生になった。
 先生というのは小学校の教師のことで、もう10年以上もまえになるのかな、社会人になった都美子ちゃんと何十年ぶりかで会ったときにはたしかに小学校の先生だった。

 その後アメリカに渡り、1年間シアトルで日本語を教える先生を務め、さらに何年か経つと今度はハンガリーの首都ブダペストで2年間、同じように日本語教師をやっていたという。
 ハンガリーにはぼくも何度か行って、きれいな古都という印象があったので「いつごろ?」と聞くと「この間……、1月に帰ってきたの」という。
 ひゃあ、何とみごとな行動力だ。

 会食のあと、ペントハウスのラウンジ「天空」でワイン・パーティーとなる。
 ぼくはまぁコーヒーと水だが。

 しばらく後で小枝子ちゃんが「子どものころに……」といって話していた体験談もよかった。
 あるひとに関するセリフをなにかいうと、演出家の故人・平松仙吉さんが「それはだれのこと? そのひとはどんな仕事をしているの? そのひとはどこに住んでいるの?」と問い、そうしたやりとりがつづいたことによって、ま、小枝子ちゃんがそういったわけではないけれど、要するに想像力を鍛えられたのが大切な経験となっており、現在とても役に立っているというのである。

 翠ちゃんは出演した映画『SP』を有楽町に観に行って、記念にブラック・パールのネックレスとイアリングを買ったのだそうだ。
 そのイアリングの片方がはずれ易いらしく、ふとしたときに真剣な顔つきで胸元を探したりしていた。

 征行さんは自分自身について「忙しいみたい」という。
 1週間のうち、2日間は子らと孫たちの時間となり、2日間は仕事めいた用事があり、週に3日間だけフリーなのだとのこと。
 フリーな日には出かけたり庭いじりをしたりするそうだ。

 いやぁ、書いていくと本当にきりがない。
 つづきはいずれ、またにしよう。

 夜10時にお開きとなり、ぼくは初めて浅草橋経由で帰ってきた。
 地下鉄都営浅草線で浅草橋へ行きJR総武線に乗り換えるコースだ。
 参ったのは浅草橋駅にはエレベーターもエスカレーターもないことで、やむを得ずゆっくりと階段をいくつも上ったのだ。
 途中で休んだものの、じつに苦しかった。
 お茶の水で中央線に乗り換え、国分寺で特快に乗り換え、それでも最終バスを30分近く待つ羽目になり、午前0時半の帰宅であった。

 ニュースサイトを開くと「核燃料の大半溶け圧力容器に穴 1号機、冷却に影響も」というあきれ返るような見出しが目に入る。

 そういうことが起きているだろうと、京大・小出裕章さんなど多くのひとがいってきた。
 ぼくもそうだろうと思っていた。
 が、東電と何人もの御用学者と、民放テレビの報道傾向はちがっていたのだ。
 しかし実際には、3月12日にウィーンにいる陽次郎くんが送ってきたメイルに書かれていた通りのことが起きていたわけである。

 怒りながらシャワーを浴び、ともかく寝ることにした。





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最終更新日  2011.05.17 10:23:14
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