カテゴリ:飲み食い
30分ほどうとうとしたあと起きあがった。 その間にかみさんが淹れてくれたコーヒーを飲む。 熱く、うまい。 きょうはかみさんも休みで、8時すぎにふたりでゆっくりとハムトーストの朝食を摂る。 ハムを2枚、小松菜を2枚乗せたトーストだ。 小松菜はわが家のベランダで育った産物、うまい。 ほどなくかみさんがレッスンを始め、ぼくは本を読んだりパソコンをいじくったり。 このごろ、TwitterやFaceBookがおもしろく、さまざまなひとたちの短い文章を追い始めると1時間ぐらいすぐ経ってしまう。 夕方、友人と会う約束があるのだが図書館に寄って行くつもりなので2時すぎには出かける支度を始めなければならない。 気になるのは呼吸の上がりかたで、気圧のせいなのだろうか、着替える際のからだの動きだけで息が苦しくなる。 もっとも、これはずっと前からそうだったな。高井戸に通っているころも、ジーンズをはいたり脱いだりするたびに息が上がり気味になるのだった。 しかし、それにしてもきょうの苦しさは要注意だ。 いつにも増してゆっくり歩くようにしなければまずいぞ。 と、そう気にしているのに横断歩道の処でバスが来る。 赤信号が変わらないうちに左右を見て渡り始めないと間に合わないことが分かっている。 見ているとバスは停留所に止まり、乗客が乗り込み出している。 距離にすれば20メートルほどだろうか、ぼくの足取りではこれに1分ぐらいの時間をかけたいところなのだ。 間に合わなくてもいいやと、ゆっくり進みながらもじつは乗り逃がしたくない。 そのため少し早足になってしまうのだろう、とてつもなく息が苦しい。 何とか間に合って、座席にへたりこむ。 早足になっていたなと思うのはこのときで、座ったからラクになってもいいのに乱れた呼吸がなかなか安定した状態に戻らない。 酸素が入ってこない感覚が2分ぐらいつづくのである。 目をつぶりたいほどの息苦しさなのだが、収まるときはそれが突然なくなる。 ふと気づくとふつうに呼吸しているわけで、いってみれば「ああラクになってきた」という時間がないのだ。 こんなことをだらだら書いていてもしょうがないのだが、きょうはじつにひどかったのでその記録というつもり。 ラクになってから、iPodに意識を戻す。 あらためてローリング・ストーンズを選び、やっぱりこれだなと思いながら「Can't you hear me knocking」を選んで聴き入る。 バスを降りて図書館に着くまで、息が上がるのがこわくて殊更にゆっくり歩いた。 予約していた本、嵩(だけ)さやか著『年金制度と国家の役割 英仏の比較法的研究』(東京大学出版会)を借り受け、ジャズのCDを2枚借りた。 ジョン・コルトレーンの『Bye Bye Blackbird』を探しているのだが端末検索では見つからなかった。 京王線で明大前経由、渋谷へ。 電車の中で「bk1」への本代支払いをし忘れたことを思い出し、渋谷でコンビニを探そうといったん駅から街へ出た。 井の頭線からすぐの柳小路界隈をゆるゆると歩き回ってみたけれどコンビニがない。 べつにきょうでなくてもいい話なので地下鉄に向かうことにし、振り返って駅へ戻る。このとき、道玄坂側から渋谷駅方面を眺める光景の変貌ぶりにおどろいてしまった。上の写真がそのときのものだが、駅の向こうにやけに背の高いビルがひとつ立ち上がっている。 何のビルであれ、ぼくにとってこういう景色の渋谷は初めてなのだ。 渋谷の町並みも変ったものだなと思いながら地下鉄銀座線のホームへ。 銀座では三越に立ち寄り、用事を済ませてからあらためてゆっくりと歩きだした。 風月堂で午後6時過ぎの待ち合わせだからのろのろ行って丁度いいくらいだ。 中央通りで松坂屋の建物を眺めたり、みゆき通りで電柱に彫り込まれた道路名を見つめたり、ウィンドウショッピングの時間はないので道路ウォッチングをたのしみながら歩く。 その後、友人と蕎麦屋・田中屋に入り、あわびの煮合わせやら子持ちヤリイカやら天ぷらやらを食べながらお茶を飲む。 友人は稚鮎の天ぷらなどをつまみに酒を呑んでいる。 いつものように話がさまざまに盛り上がるので意識しなかったが、ぼくが酒を呑まなくなってからおよそ1年とひと月、からだが慣れたのか、特に酒を呑みたいとは思わないまま時が過ぎていった。 食後、いつも落ち着いて愉しいバー「曜」に寄り、ときにわいわい、ときにじっくり、話し込んだ。 気がつけば夜も10時半を回っている。 ゆっくりとしか歩けないので11時になる前に店を出なければならない。 気にした通り、渋谷から明大前乗り換えで乗った京王線は京王八王子行きの最終電車であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.06.17 16:11:12
コメント(0) | コメントを書く |
|