カテゴリ:飲み食い
つぎに起きたら6時45分になっていた。 かみさんが立ち働いている。 もしかすると、と思い「畑に行ったの?」と聞いてみた。 「うん、収穫を見て!」 立派なキュウリが何本か籠に入っている。 「おお、うまそうだ」 「でしょう!」 8時に彼女が出かけて行き、ぼくはテレビをつけて『サンデーモーニング』を見る。 原発が事故を起こすと、このように悲惨な状態を生じさせることは、今回の東電原発事故をもって世界中のひとが知った。 国際社会は、広島・長崎への原爆投下を体験した日本人が、原子力の平和利用というスローガンの下に原子力発電所の設置と稼働を押し進めたあげく、深刻度レベル7という巨大事故を起こすに至ったことをきっちりと認識している。 そういう国際社会の目は、日本が、ということは政府であり日本人全般であり、さらには日本という国で生活してきたひとびとの個人個人が、原発に対してどういう方向性をもってこれからの歴史に参加して行こうとするのかを、見守っている。 そういうときに放送された『サンデーモーニング』であったが、6人のコメンタイターのうち佐高信さんだけが明瞭に原発の存続を否定した。 「経済より何より、事故を起こすと最悪の事態が起きることをつねに考えておかなければならない」 この通りのことばではなかったけれど、原発が人類の手に負えないほど残酷で過酷な状態を生み出すことがよくわかったわけだから、という柔らかいいいかたで原発の存続を否定していた。 ぼくはきわめて同感、福島第1原発の事故がもたらした現状を知って、そこで経済の心配をしているひとのアタマの中は空洞なのだろうと思うのだった。 その意味でもうれつに腹立たしかったのが、毎日新聞に載った海江田万里経産相のインタヴューであった。 インタヴューは今月13日に衆院第1議員会館で行われたそうで、ということは牛の内部被曝にかかわる大ニュースが報じられる前のインタヴューということになる。 きのうではないことが何か発言に表れるかなと気にしながら読んだが、思った通りそういった気配はまったくなかった。 このひとにとっては福島第1原発から80キロ離れたところでつくられた稲ワラを食べた牛が内部被曝していたことや、その牛の食用肉から大きな数値の放射性セシウムが検出されたことなどは「経済」の前には大した問題ではないかのようである。 そんなに長いインタヴューではなく、全体の印象をいえば内容が薄い。 特色は、菅首相の「脱原発」に反感をつのらせているだけ。 海江田経産相は、たとえば「核兵器を持たずに原子力技術を本格開発してきたのは日本ぐらいなのに、その技術を捨て去っていいのか」と述べる。 このひとが原発を推進させる側に立っていることはわかっているから、こういう答えかたをすることに驚きはしないけれど、あまりに無知無能な発言ではないか? 「その技術」が何を指しているのかがもうひとつ明確ではないのでよくわからないが、海江田経産相のいう「その技術」が福島で原発事故を起こしたのではないのか? だいたい、311事故について経産相としてどうとらえているのかが気になってくる話だ。 まるであの原発事故などなかったかのようないい方ではないか。 「原発は安全なら動かし、安全でなければ止める。すべてストップするシナリオは頭の中にない。現実問題として、2~3年で大きくは減らせない」という発言もそうだ。 福島第1原発では1号機も2号機も3号機も、安全だから動かしていて、そこで爆発が起きたのだろ。 爆発が起きた結果、東電原発のおかげで10万人を超えるひとびとの生活が、あるいは人生が、奪われる事態となった。 先日の自殺者、遺書で「お墓に避難します」と書いて自ら命を絶ったひとの行為は、東電の原発事故が生み出したことどもを象徴する行為だったともいえるのに、海江田経産相はなにをいうかと思えば「原発は安全なら動かし、安全でなければ止める」だと。 こう書くと本人は「すべてストップするシナリオは頭の中にない」という意味だと弁解するかも知れないが、そうだとしても同じことだ。 菅首相は「脱原発」を唱えて、とにもかくにも画期的な第1歩を踏み出したのだ。 その閣僚であるのなら、せめて正面から受けとめろよ。 もったいぶった顔つきでしぶしぶ従っておきながら、個別なインタヴューでは「原子力技術を本格開発してきたのは日本ぐらいなのに」などと、その「技術」ゆえにことばにできないほどの苦悩を背負わされた避難者が聞いたら気絶してしまうような文言をいけしゃあしゃあと口にする。 ぼくは、海江田経産相はバカだと思った。 そう思わなければ怒りが収まらない気がしたからだ。 バカな閣僚が首相に対する愚痴をぼそぼそと語っている。 インタヴューアーの新聞記者は、そのいかにもめめしい談話をなさけないほど無批判に聞いてしまい、聞いたまま記事にしている。 これはそういうインタヴューだ。 夕方、仕事を終えたかみさんとバス停で待ち合わせ、午後4時50分発のバスで街に行った。 とりあえず京王八王子駅前でバスを降りて図書館へ。 返却し、新規に借り出し、視聴覚ルームではジャニス・ジョプリンと偶然見かけたエディット・ピアフのCDも借り、酷暑の駅前通りに出る。 歩き出すと、おや、けっこうな風が吹いている。 陽射しはまだ強いけれど風のおかげで涼しい思いを味わえる。 いや、でもこれ、台風6号の影響による風なのかな? この6号は「超大型で非常に強い」と形容される台風なのだ。 上の写真は駅前通りを歩きながら撮ったもの。 南口のスーパー「アルプス」へ赴き、魚を見る。 刺身を買おうと申し合わせていたのだが、夕方になってしまうと「ぜひ買いたい!」と思える刺身がない。 その脇に鱈の切り身が置いてあった。 「鱈ちりはどうだ、暑いけど?」とぼく。 「いやだ」とかみさん。 「そうか、じゃあやめよう。刺身はほしいのがない。魚はやめよう」とぼく。 「あ、これなら買おう」とかみさんがいい、見ると、むちっとした真鱈が皮を剥いた状態で置いてある。 それから長葱を買い、白菜を買い、豆腐を買い、帰宅してすぐ、かみさんが鍋の用意にとりかかった。 鍋、といってもテーブルで火を使うのはさすがにきつい。 キッチンでぐらっとさせた鍋を食卓にもってきて、そこでつつくのだ。 かみさん手製のだしが絶品。 わが家の畑でとれたキュウリとカブの漬け物もうまい。 本来的な意味での鍋料理ではないけれど、まぁ、いい。 今夜は暑い中で鱈ちりをたのしんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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