カテゴリ:飲み食い
11時5分のバスで京王八王子駅へ。 きょうは家族4人で外出。 前に暮らしていた新中野で行きつけだった店に昼めしを食べに行くのだ。 仕事が休みのかみさんとウィーン帰りの陽くんを連れ、蓮太郎くんとは新中野で待ち合わせている。 目指すは「つけそば 大勝軒」。 ぼくは大勝軒に、1970年からだから、もう40年を超えて足を向けていることになる。 最初は中野の駅近くにある店に入った。 現在も同じ処にあるこの大勝軒は、いまや有名店となったこのチェーン店の最初の店だと聞く。 半間ほどのガラス引き戸を開けると、右手前に始まるカウンターが6メートルほど奥まで延び、左に折れていく。 ぼくが繁くかよったころにはカウンター内に5人か6人のつけそば職人がおり、長いカウンターの座った場所ごとに作る担当者がいるという具合になっている。 何回も行っていると茹でかたやスープの味付けに好みの傾向が生まれてくる。 ぼくにとってはAさんとBさんの作るつけそばが絶対的な好みとなった。 それから何年かして、1979年ごろだったか、住んでいた新中野に2人のうちのBさんが店を出していることを知った。 真冬の深夜、じつは大晦日だったのだが、偶然その店の前を通ったのだ。 行き過ぎてから「あれっ?}と思い、逆戻りしたものだ。 ガラス越しにたしかめると、間違いなくあのBさんが立ち働いている。 そのときは腹が一杯だったので店には入らず、その後も何回か通り過ぎてはたしかめるということを繰り返したあげく、ある日、ようやく入った。 顔は知っていても、ことばを交わしたこともなく名前も知らない。 ただ、目と目を見交わすだけだった。 いつもの肉入りつけ麺を注文する。 ひとくち食べた瞬間、紛う方なくあの好みの茹でかたであり、味付けなのだった。 「うわぁ、うれしい!」と、やはり胸の内で快哉を叫ぶ。 中野駅近くの店に行くには15分ほど歩くが、こんどは5分ほど(健康だった当時の歩きかたで)で店に行けるわけで、胸の内で欣喜雀躍したものだった。 そこで、新中野・鍋屋横町の大勝軒にはよく出向くようになった。 指折り数えると足かけ24年間、かよいにかよったものだった。 鍋横の住まいから八王子に移ったのが2004年の11月末で、だから去年の11月15日、かみさんと2人できょうは大勝軒に行こうよと出かけていったのがじつに7年ぶりのこと だったのだ。 そのとき、最初のひとくちを味わった際に感じた「これだ!」感覚は忘れられない。 思わず「うまい……」と口にし、食べ終えてからご主人のBさんと初めて私語を交わすこととなったのだった。 7年ぶりです。 そうですよね、たしか1年や2年じゃないなと思っていましたよ。 中野駅近くの店にも行っていました。 ええ、と答えたきりだがBさんは当時からのぼくだとわかっていてくれたようだ。 あそこにいらした5人、6人のひとたちはその後? と聞いた。 それぞれに店を持ち、それぞれに成功しているそうだ。 そうだろうなぁ、あの人たちが作ってくれるつけ麺は格が違うもの。 そうなんです、あのころの5、6人はほかと違います。 いま「大勝軒」というと東池袋の店が本拠であったような情報が定着しているけれど、あれは間違いで中野駅前がいちばん初めの店だったと教えてくれたのも、Bさんだ。 この店のご主人がいうのだからまちがいない。 で、きょう、1年間ウィーンに留学していて日本の代表的なつけ麺を知らないままの陽くんと、この店の味から遠ざかったままの蓮くんを連れ、久しぶりに家族4人で外食するに際してここ、鍋横・大勝軒にしようと決めていた。 お子さんか? と声には出さず目で聞かれた。 息子たちです、蓮太郎と陽次郎。 おお、と褒めてくれる。 40年来うまいつけ麺を喰わせてくれてきた職人のBさんが、ぼくの家族を褒めてくれる。 涙がでるほどうれしかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.03.20 17:33:37
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