テーマ:アニメあれこれ(26292)
カテゴリ:鑑賞
昨日届いた「戦闘妖精雪風 OPERATION 5」を観ました。
う~ん、 こりゃ、もう一回「OPERATION 1」から通して観る必要があるかな。(^_^;) 最初の感想はそんなところです。 さて、では詳細なんですが、 まず映像は、予想外に戦闘シーンばかりですね。 「雪風」はクラスター爆弾に燃料気化爆弾、ついにはバルキリーばりの高機動マイクロミサイルまで使っちゃいます。 もう、やりたい放題やっちゃってますね。 (^_^;) 観てる分には楽しいけど。(笑) 噂の「1カットに20万ものジャム」ですが、一体どのシーンが該当シーンなのか判りませんでした。(-_-;) それっくらい、ジャムが無数に出てくる! それを戦闘機で迎え撃とうっていうんだから、映像は、もう凄まじいの一言。 気合入りまくり。 嗚呼、目が痛い。(-_-;) なにも、あんな小さなジャムの大群まで映像化しなくてもと言う感もありますが、その辺が「こだわり」なんですかね? 『妖精を見るには 妖精の目がいる』 小説版「戦闘妖精・雪風」の一番最初に書かれている言葉です。 結局、この物語はこの言葉に集約されていたのではないでしょうか? 小説を読んだとき、 ここで言う『妖精』というのは、『人間外の存在』なのだろうと感じました。 つまりは「ジャム」や「雪風=戦闘知性体」や「コンピューター群」 『見る』と言う言葉は、『コミュニケート=認識=知る』の意。 それで産まれたのが、「深井零」というキャラクターなんじゃないか? 人を信じず、ただ機械の相棒のみに心をひらく人物。 そんな風に感じていました。 彼はきっと『妖精』を『知る』ことが出来る。 小説内では、ジャムは人間よりも地球側の「機械=コンピュータ」を敵として認識しているような描写がしてありました。 言ってみれば人間は、正確な判断を下す機械知性体に組み込まれた、バグの多いひとつの部品。 だから僕は、零だけがジャムに対抗できる「人間」であり、ゆえにジャムは零を狙うのだろう。 そんな風に考えていました。 しかし、このアニメ版を観た後に少し違う感覚を覚えました。 『妖精を見るには 妖精の目がいる』 これは、言葉そのままなのではないだろうか? 『妖精』とは物語の名が示すとおり『雪風』のこと。 そして、『目』を必要としたのはジャムの方なんじゃないだろうか?と・・・・。 ジャムにとって、戦闘は『コミュニケーション=情報収集』の手段。 彼等にとって戦闘の勝敗自体にさほど意味はなく、『相手を知る』ことこそが真の目的。 『予測できる相手』は脅威ではなく、知る必要はない。 『バグを起こす部品』も脅威ではなく、知る必要はない。 ゆえにジャムは知るための『目』を必要としたのではないでしょうか? 『彼等の知識にない、より進んだ存在』=『完璧に作動する戦闘知性体』を知るための『目』を。 つまりは、『零の乗った雪風』こそが『妖精』であり、完璧に作動する戦闘知性体だ、とジャムは判断したのではないのでしょうか? そして、『妖精』を知ることで自らも、より完璧な存在に近づく。 ジャムの存在意義も『進化』であることには違いないのでしょうから。 な~んて、自分でも何を言っているのか判らないようなことを書きましたが、 これは僕の個人的な感想です。 あまり深く考えず、『戦闘機のカッコイイ空戦の映像が観たい!!』と言う人は観てみてはいかがでしょうか? もちろん、表紙のキャラクターに惹かれたあなたもどうぞ。(笑) もしかしたら、あなたの『傑作集』に入る作品かもしれませんよ。 オススメの作品です。 さて、もう一回「OPERATION 1」から見直そぉ~っと!(^.^) <追記> アニメ版の零は、きっと死んだんだと、僕は思います。 OP後、自機をロックしたミサイルに自爆司令を送ろうとしたブッカーへ向けた台詞が、それを意味していると思います。 きっと、零にとって「雪風」は恋人のような存在なんでしょう。 それに対し、ブッカーへの感情は友情というより「家族愛」かなぁ。 ブッカーがエンディングに「寂しくない」と言ったのは、やはりリンが感じたように死して後、零がブッカーを見守っていたせいじゃないでしょうか? そんな風に感じました。 ↑個人サイトです(^.^) 是非一度、お立ち寄りください。<(_ _)> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005/08/26 08:43:38 PM
コメント(0) | コメントを書く
[鑑賞] カテゴリの最新記事
|
|