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塵と芥の思索室

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2009.01.31
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カテゴリ:森博嗣 語録
元来、「美しい」という形容は、無駄なものを排除した「洗練」を示すことが多いようだ。どことなく、シンプルな対象が思い浮かぶ。「綺麗な」という形容とは、その点が異なるものと私は感じる。研ぎ澄まされた刃先にもにた緊張感が「美」の中には存在する。そんな気がするのである。~ 「魔剣天翔」12ページ ~

私は、かなり以前から「ピストル」と「日本刀」がとても美しいと感じていた。この志向性について、「やばいかも」と思うこともあったが、やはり美しいと感じるのだから仕方がない。だから、こっそりと授業にそれらを持ち込んで、「鉄について」の講義や、「建築と美」について語ることがある。・・・もちろん、生徒との間に信頼関係が構築されてからしか、そのような授業はできないのだが・・・

森作品の中には、形にこだわっていないようで、こだわっているような記述がいくつも出てくる。例えば、犀川教授の服装は、一年中変わらないのに対して、萌絵のファッションは奇抜かつ高価である。服装について、このような記述もある。

 クロゼットに入って、服を選んだ。
 どうでも良い、と思う。
 服装なんて単なる可視光線シールドだ。 ~「夏のレプリカ」116ページ ~


可視光線シールドにも、それなりの「形」がある。それが綺麗か、というよりも、可視光線シールドとしての機能と効率の帰結たる「美しさ」が必要なのであろう。その「形」については、このような記述がある。

 美とは、したがって、あくまでも人工的なもの、すなわち行動と思考を伴う人の行為に向けられる評価、人の意識でなくてはならない。女性が、否、人間が美しく見えるのも、それが生きている、あるいは、私が生きているからであって、生きたものが、生きたものに対峙したときの評価にほかならない。
 何かをしようとしてもがいている。
 その「形」をみる。
 もがく形。
 そのための形だ。
 形とは、動こうとする意志なのである。 ~「魔剣天翔」13ページ ~


「建築と美」の授業では、「形は機能に従う」という法則を生徒に教えることにしている。機能における無駄は、綺麗かもしれないが、美ではなく醜である。美なものは、必ず相応の機能の帰結なのであり、その機能に配慮し、評価し、尊敬すべきである。

最近買った時計は、実にその点で気に入っている。今まで買った時計が、みなケースにおいたままになっている。不思議なくらい、その時計一本で満足できる自分がいる。この形が機能という点において、美しいからなのであろう。そこが飽きを生まないのであろう。


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最終更新日  2009.01.31 11:40:12



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