男の手。
私ぐらいの年齢になると若い頃じぶんがどんな感じの少年、青年だったのか、いまいち漠然としてわからないときがある。生意気だったのか奥手だったのか、がんばっていたのかヘタレだったのか、仲間の中心で騒いでいたのか外野からヤジを飛ばしていたのか。暗い子でなかったのは確かなのだが、私のイメージの輪郭がぼやけている時代がある。進学校の高校時代がそんな感じかもしれない。実は昨年11月末、見覚えのある名前の男性から往復はがきが届いた。来年1月3日に高校を卒業して35年(すごい^^)初めて同級会をやりたいと書いてある。この人の名はミヤイリ君。確かよ~く勉強していた子だったと思う。どうやらミヤイリ君は母校で教鞭を取っているらしい。しかも同級会には恩師コイケセンセも来ると書いてある。こりゃどうも本気モードだ。というわけで3日は35年ぶりに高校の仲間の顔を見にでかけていった。握手をしたり肩をたたいたりするものの、さすがにパッと昔の仲間の顔が浮かんでこない。顔ばかりか体までかなり変形している人が多いからだ。 ヤンパはあんまし変わんねーなと言われるものの要するに男としてそれはどーなの?人間としての風格とかおちつきとか、責任が全体からにじみ出てこないってことは、かなりヤバイ人なのではないか。^^;)みんなの経歴を伺うとまあ進学校だったので、それなりの職についている人が多かった。これが小学校の同級生になると、先生あり、警察官あり、八百屋あり、ミュージシャンあり、土建屋あり、得体の知れない商売ありと様々なのだが、高校ぐらいになるとあまり大きくはずれていない、順当な路線を歩んでいる人々が多いようだ。男女20人の同級生と歓談できたのはうれしかったが、私はやはりコイケセンセに会えたのがうれしかった。正直、ご存命だとは思わなかったからだ。よくよく聞いてみると私たちを教えていたころは38,9の歳だったと言うのだ。我々のイメージとしては50歳ぐらい。昔のオッサンはそれだけ老けてみえた。威厳もあったのかもしれない。小さなイタリアレストランでの会食は4時間でお開きとなった。みんなの顔をひとりひとり追っていくと、どううやら私の高校時代は外野からグサッと嫌味を投げかけるようなイチビタ人間像が浮かび上がってきた。^^かわいげのない同級生だったかもしれない。いまは写真が趣味だと言う先生に、私の唯一の著書(県内の木造校舎や廃校を撮影して収録した写真集)を差し上げたらずいぶん喜ばれた。形あるものを恩師に渡せたことで、長い間の非礼をほんの少し返した気がした。コイケセンセに長生きの秘訣を聞くと 「あまり一生懸命仕事するな」 ということらしい。今の私にはすごく励みになる言葉だった。^^;)それにしても一番驚いたことは?男も長年いろいろな仕事をやってくると「手」が違うのである。握手したときの手の感覚。手にみっしり人生が詰まっている人がいる。手がその人を語るということを、あらためて実感した夜だった。