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ペドフィリアって、私は単に小児性愛?のことかと思ってるのですがここに詳しいです。 http://dic.pixiv.net/a/ペドフィリア
この写真はつい先日ネットに載ったもの。世界のペド愛好家が日本の人形メーカーに注文を依頼しているケースが多いことに疑問を持っている人々が「これは合法的にペドを支援していることにつながらないか?」と議論している問題です。 ココ http://togetter.com/li/963424
私は以前バイト先の発達障害の子どもたちのヘルパーについて書いたことがあります。 若い男性です。かりにA君。 彼がバイトのシフトに入ってきたとき、一定の年齢以下の子どもたちに対する態度に疑問を持ち始め観察していました。 さわる、もむ、抱きつく。その様子がちょっとおかしい。 あまりにしつこくて、私と送迎を担当したときに注意しました。クルマの中でも(後ろのシートで)同じことを繰り返すからです。その時点で私はペドだと思っています。 彼が何度か私に注意されて逆ギレされてから、私は彼と一定の距離を置き見守ることにしました。 一緒に働いているヘルパー(おばさんたち)もほぼ同じ気持ちです。
思うにA君はおそらく大人の女性とのつきあいができない。。。あるいは相手にされない。 それが小さな無抵抗の男の子に愛情として向かっている。そんな風に思えました。 バイト先は特に男性が不足している状態です。施設がそんなA君でも注意勧告しながら雇わざるを得ない状況もわからなくはないです。 彼はこの春、嘱託社員として登録されました。私たちヘルパーの上司になったわけです。 A君はいわゆるゲーマーで夜遅くまで自宅で遊んでるらしい。。。ので、風呂に入らない。 体の臭いも相当ひどかったのですが、上司の注意によりそれは変わりました。 今は子どもたちに対する接近も普通の人々とほぼ同じ状態に保たれています。
人は気持ちによって左右されやすい生き物なので、自分に置き換えても「果たして自分はいま虐待してはいまいか?」と悩むことも多いです。 子どもとふたりきりになった時にその疑問はもたげてきます。 ハッ? 俺は今もしかして誰もいないことをいいことに虐待していないか。。。 ペドとは違いますが、密室の環境の中では自己判断に迷いが生じる。 きのうも送迎の帰りに職員のおばさんとそんな話しをしました。
実は私はペドっていうのは欧米に顕著な行動で、犯罪に走るのはやはり密室である学校だったり、教会だったり、ライオンズクラブなどの回りから見ると「良いことをしてる大人がいるから安心して預けている」環境とばかり思い込んでいました。 身近に突然そういう人間が現れて私自身、嫌悪(怒り)がこみ上げてきたのかもしれません。 ただ私自身もアテンダントしながら、この子はなんてかわいい子なんだろう、と思う抱きしめたい瞬間におそわれることはあるので、何が何でもあいつらは異常だ!と断罪することはできない。 不確定要素はかかえたままです。
日曜日にアカデミー作品賞を受賞した「スポットライト」を観てきました。 ボストンの新聞社の記者さんたちが、教会の神父たちの子どもたちへの行為を告発する映画です。 (行為の前に「性」と入れると楽天では禁止ワードになるらしいので、行為と書いてます) 映画自体は韓国映画「トガニ」のように、忌まわしい行為を描写するわけでもなく、「闇の子供たち」のようにする側の苦悩を描くわけでもないので、いまいち日本人には伝わりにくい。 ストーリーが淡々と進むのでボルテージが上がるわけでもない。 その分、記者さんたちの人間としての個性は浮かび上がるので(マーク・ラファロがいいです)、静かに胸に残る、そんな感じの映画でした。
劇中、ひとりの元神父さんがひょうひょうと言います。 いやあ、あれはレイプなんかじゃないよ。あれはいたずら。それ以外のなにものでもない。いたずらだったんだよ。 人助けだと思ってる人々は正と悪の垣根を軽く飛び越えてしまう瞬間があることを、薄気味悪く表現していました。 アジアの人々はバチカンというと「へへーー」とこうべを垂れてしまいがちですが、組織っていうのは長ければ長いほど、権威をかざすものほど腐るものだと個人的には思っています。
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