テーマ:今日のこと★☆(106032)
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みんなに親しまれていた俳優・タレントの愛川欽也さんが、15日肺がんのため80歳でお亡くなりになったそうです。深く哀悼の意を表したいと思います。 今日の東京新聞の夕刊で知って、びっくりしました。あのにこやかな笑顔のお元気そうなお姿しか浮かばないからです。 東京新聞(夕刊)には次のように愛川さんの業績を紹介しています。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆「アド街」司会1000回<評伝> 「戦争をしない、平和憲法を守るってテレビがどこもないから、おれがやってるんだ」。テレビでおなじみの笑顔の「キンキン」でなく、怒鳴るような口調でぎょっとした。二〇一四年九月に、愛川欽也さんにインタビューした時のこと。七十代後半で始めたインターネットテレビの目的をこう語った。 大ヒット映画「トラック野郎」シリーズの企画を東映に持ち込み、菅原文太さんと共演した。深夜テレビ「11PM」の司会や、深夜ラジオ「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティーのほか、俳優、声優、エッセイストなど、マルチタレントとしてテレビやラジオ、映画などでファンの心をつかんだ。 東京・巣鴨に生まれ、下町を愛した。心に秘めた強烈なまでの平和への執念。その原点は、故郷を空襲で焼かれ、親類を頼って秋田や茨城などの疎開先を転々とした子ども時代にある。 戦後五年たってようやく東京に戻れた。中学の恩師が新憲法を教えてくれたという。「日本はこれだけの犠牲を払って近隣諸国に迷惑をかけて、平和国家として道を決めたな、と思った」。だから改憲の動きには怒りを隠さない。「戦争があれば街は壊れる。東京が世界に冠たる平和な都市、戦争をしない都市になるには、憲法を変えないこと。そのために、町じゅうの道を『平和憲法通り』って名前にしたらいいんだ」 「憲法を守って戦争しない街と、そんな人間が残ったら。おれはそれにロマンを感じる」。憲法と平和の話になると止まらない。インタビューの時間がなくなると冷や汗をかいたが、本紙を評してキンキンに言われた言葉は忘れない。「東京新聞の読者の数が平和の数だって言っていいよ」 本紙連載の「わが街わが友」の最終回では「また、強い国の夢をみる人が増えてきたような気がする。マスコミがもう一度軍靴の行進に旗を振ったり、提灯(ちょうちん)を灯(とも)したりしたらこの半世紀は一体何だったのだろうと思う」と結んでいる。 「アド街」放送千回の取材で、体調が悪いと聞いて心配していた。あの元気な声がもう聞けないのは寂しい。 (五十住和樹) ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 「戦争があれば街は壊れる。東京が世界に冠たる平和な都市、戦争をしない都市になるには、憲法を変えないこと。そのために、町じゅうの道を『平和憲法通り』って名前にしたらいいんだ」。なんとユニークな愛川さんらしい発想でしょう。またまた惜しい方を失いました。寂しいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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