テーマ:徒然日記(23478)
カテゴリ:健康
私のブログ日記は事実上、8月7日の日記で途切れています。 あの千葉の猛暑、38.6度を経験したあと、その時はなんとも感じなかったのですが、そのあとが大変でした。 翌日体がだるくてなかなか起きられませんでした。でも食事の用意は息子がいるのでなんとかやって、食後も頭がぼーっとして、眠くて仕方がないのに、体が動かず、ベッドのある部屋にもなかなか行けず、やっと昼頃後片付けをして、昼寝。 1時半頃、息子に催促されてやっと起き、昼食の準備と昼食を済ませ、ぼーっと休んでいるところへ、Hさんから電話が入りました。 「今日は創芸のお芝居の日だったのよ。どうしたの?」という電話でした。あ、そう言われればそうだった、でもひとかけらの記憶も今朝はありませんでした。大体次の日の予定は前の晩に確認して、朝からそのつもりで行動していたのですが、前の夜はそんなこともできずに、次の日のことを考える余裕もなかったようです。 大失敗です。私がチケットを購入して事前に二人の人には渡せなかったので、当日早めに来て渡す約束だったのです。 しまった。でも後の祭り。二人は元同僚の演出家に話して、チケットを再発行して貰い、入れたそうですが、随分迷惑をかけてしまいました。そんなことって、後にも先にも初めてでした。情けなくなるやらなんやら・・・。 体はだるく眠く頭は痺れていて思考が定まりません。もうとにかく休むしかありませんでした。 ぐっすり寝て、また夕食の支度をして一休みしているところにまたHさんから電話。 「今3人でお茶しているところよ。今日はゆっくり休んで明日、電話すればOさん(演出家)がチケットを再発行してくれるそうなので、いいお芝居だったので是非そうして。みんな見られたから何も心配しないで、今日はゆっくりお休みなさいね。」という親切な電話。 Oさんに電話するチャンスはその日の5時半と9時と当日の朝でしたが、その日はとうとう夜までだるく行かれそうもない状態でした。 一晩寝た翌日やっと元気になって出かけられる状態になったので、Oさんに電話。せっかくチャンスを頂いたのでと思い紀伊国屋サザンシアターまで出かけました。原発事故の後、立ち退きを迫られ仮設住宅に住むことを余儀なくされた富岡町の住民を描くお芝居でした。主にそこで始められたFMラジオ局を中心に話が進められました。その演劇から富岡町の現状の一端を垣間見られた気がしました。 演劇は良かったのですが、またすっかり疲れました。次の日はT診療所へ。一過性の健忘症だと言われました。 その翌日も次の日もそれからずっと、眠くてだるくて、一応食事作りと食事を食べること、後片付け程度の最低のことをやって、あとは体を休めることに終始しました。 ブログのご訪問もコメントも思うようにできず、すっかり失礼してしまい申し訳ございませんでした。 もうしばらくこんな状態が続きそうですので、どうぞお許しくださいませ。
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