カテゴリ:詩
栗饅頭
先の大戦が終わる前の年 昭和一九年だった 私と妹が静岡の叔父の家に疎開していた時のこと 日本の敗色が濃くなり食べるものも不足していた チョコレート 飴 ケーキは町から消えた 子どもにとって甘いものが食べられないことは 身が干乾びるように辛いことだった 「あの雲 シュークリームのようね」 姉妹で空から雲を掬って食べると 不思議と甘い匂いと味が漂った
ある日母が大きな荷物を背負って東京から現れた 八畳の奥の二畳の部屋の障子の向こうの廊下に 連れて行かれ 障子はピシャリと閉められた 「これお食べ」 差し出されたものは何と栗饅頭 こげ茶色の表面がつややかに光っていた
遠縁の産業戦士の菓子職人から貰ったという 「叔父さんや叔母さんの分は?」 「ないから さあ早く」 いつも叔父や叔母には白いご飯や西瓜など お腹いっぱい御馳走になっているのに 内緒で食べるのは後ろめたかった
「どう?美味しいかい?」 「うん とても美味しい」 母が折角持ってきてくれたものを そうニコニコしながら云う他なかった 実は後ろめたい思いで急いで食べたせいか 味も素っ気もなかったのだ
母は魔法使いのようだった 神出鬼没 来て欲しい時に欲しいものを持って 私たち姉妹の前に現れてくれた *産業戦士…技術を持った職人で軍の幹部などに製品をおさめた人。兵役は免れた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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