「人は、食べるものになってしまう」 1
逗子に、「世界一小さな科学館」という「理科ハウス」があります。初めてアインシュタインが来日した時に通訳をした、石原純という方のお孫さんが個人でなさっている小さな、けれど、すばらしい科学館です。小さいながら、逗葉地域の理科人間を魅了してやまず、子供たちが絵馬のような木札に「質問」を書いてぶらさげておくと、地域の「理科人」達が、返事を書いて行く。などの素敵なコミュニケーションの場となっており、展示されている品々、体験実験の数々はおもわず「ほおお~~~」と、うならせ、近くの「理科こども」たちのたまりば、中高生の「理科系クラブ」の第二の部室となっているような場所です。そこに、子どもからの質問「バナナが大好きなんですが、たくさん食べすぎて、バナナになってしまうことはありませんか?」に,「大丈夫だよ。人間は、バナナにはならないよ」という回答がありました。人間は、「バナナを食べても、『植物のバナナ』にはなりません」しかし、実は、「バナナが好きな人」は、「バナナの特質を持った人になってしまう!!」のです。つまり、見た目は「バナナを食べる前とは変わらない」のですが、「身体の中は、しっかり『バナナ人間』になっている!」のです。これは、いつの映画か、たしか、ハリウッド映画で、米国がひどく不景気だったときに作られた映画、あ~~~タイトルを忘れてしまいましたが、ストーリーは、「宇宙人の侵略か何かで、眠ってしまうと、身体をのっとられてしまう、、、それで、村中がひとりひとり変わっていき、主人公のカップルは、そこから大変な思いをして,どうにか村から逃げ出すけれど、逃げ出して助けを求めた車の中には、すでに「身体をのっとられてしまっていた人」が乗っていた。と。米国、ハリウッドの不況時代に作られた映画なので、ローコスト、費用が出来るだけかからないように、しかし、それでいて十二分な恐怖が味わえるような作りでした。つまり、「宇宙人に身体を入れ替えられる前」と、「宇宙人に身体を入れ替えられてしまった」「人」は、「物理的に全くかわっておらず」、ただ、「犬」や、「こども」だけが、「わかる」と。だから、子「ただいま~」犬と一緒に帰宅。母「おかえりなさい~」子「あ、おかあさんじゃない!おかあさんじゃない!」犬「ワンワンワンワン!!!!!ガゥ~~~!!グルグルヴゥ~~!!」」母「何をいっているんだい、この子は!」子「誰か来て~この人は、おかあさんじゃない!!!!」犬「ガゥゥゥ~~~ワンワンワン!!」と、子どもや犬が、家から母親に追われながら逃げ出すシーンがあっても、別に母親役が、「角」や「目が金色」でもなくって、「『いつものおかあさん』と全く変わっていない」というところが、ポイントなのです。で、翌日その子は「おかあさんじゃない!」と言っていた「おかあさん」と、親しげにしている。犬は「クゥ~ン、クゥ~ン」となついている。それを見て、主人公は、「ああ、あの子、そして犬まで、宇宙人に身体を取られてしまったんだ、、、」と嘆くのです。ローコスト映画ながら、「日常がだんだん、誰も外見が変わらなく、大きな騒ぎもなく、静かに、けれど着実に宇宙人に侵略されている。」というのが、ひどく怖かったのを覚えているので、そのタイトルを調べる気持ちにもならないのを、どうかお許しください。前置きが長いのですが、つまり、「食べているものになってしまう」とは、この「映画のような感じ」なのです。「自分でさえ気が付かないところで、食べたものに侵略されている身体と心」です。そうです。その「宇宙人(エイリアン)」は、我々の中の「腸内細菌」なのです」。これは、イギリスでの20世紀初頭からの研究、そして日本で最近ようやく脚光を浴び始めた研究で証明されます。「腸内細菌」が、「その人の性格」「その人の病気の種類」をつかさどる。という研究内容です。つまり、「バナナの好きな腸内細菌」がふえることによって、実は「バナナの好きな腸内細菌」に「あなたの身体」が侵され、「バナナの好きな腸内細菌特有」の「性格、そして病気」になる。とのこと。「トマト好き」特有の性格=「トマト好き腸内細菌」特有の性格となる、、、ご想像できてきましたか?そうです。それは、 「が、好きな腸内細菌」の特有の性格、疾病など、が、身体に宿ること。((笑)特産物と特定の地域に多くみられる疾病。伝統料理と国民性。「人は、食べるものになってしまう」これは、事件です ! ! これまでの常識、思想史、文化史を覆す、大事件です!!それも、昔むかしから、ずーっと続いている事件です ! ! だって、人々の「生活」を操作し、歴史を陰で、いや、人間の内部で世の中を操っていたのは、「腸内細菌!!」だったからです。いやはや、、、びっくりですよね。つづきますね