テーマ:九州 旅と食(1338)
カテゴリ:旅行(九州 大分)
大分・湯布院の宿をチェックアウトした後は、城下かれいを食べることに。 「城下かれい」とは(以下「ひじナビ」HPより抜粋) 日出城址の下に広がる海には、海底から真水が湧き出している海域があり、そこで獲れるマコガレイが非常に美味だったことから、日出産のマコガレイを「城下(しろした)かれい」と呼ぶようになりました。 「城下かれい」の美味しさは古くから知られ、江戸時代、日出藩において特に珍重された歴史を持ちます。当時は一般の人々が口にすることができなかった「殿様魚」で、参勤交代の際には将軍家へ干物を献上し、4年に1度の閏年には端午の節句に間に合うように生きた「城下かれい」を江戸まで運んだといわれます。 事前に下調べしておいた「的山荘」に車の中から電話してみましたが、満席とのこと。 (ちなみに「的山荘」は今回泊まった湯布院の宿「山灯館」と親会社が一緒。家で的山荘のHPを見ていて偶然気づきました。仲居さんもその話をされていたので話が盛り上がりました) 次にチェックしておいた「幸喜屋」へ問い合わせたら、12時台は混んでいるが1時だったら大丈夫との事だったので予約しました。
30分ほど早く日出町(ひじまち)へ着いたので散策しましたが、これがなかなか面白かったです。 予備知識がほとんどなく行ったので、まずは日出町歴史資料館へ。 平成28年1月12日に開館したばかりのまだ新しい施設です。 こちらのスタッフの男性が色々親切に教えて下さり、とても勉強になりました。 日出藩って豊臣家とゆかりのある藩だったんですね。 以下「ひじナビ」HPより抜粋 日出藩の藩祖は木下延俊(のぶとし)で、豊臣秀吉の正室・高台院(北政所、おね、ねね)の兄である木下家定の子でした(秀吉からみると義理の甥にあたる)。延俊の家系はもともとは杉原氏を名乗っていましたが、高台院の実家にあたることから、血縁の少なかった秀吉に重用され、豊臣姓である木下氏を名乗るようになりました。 資料館の前にあった鬼門櫓(きもんやぐら) 豊臣家と同じ家紋を使うことを秀吉から許されましたが、徳川幕府になってからは変に目立って目をつけられないように使わなくなったそうです。 当時の瓦が展示されていましたが、使われている家紋は豊臣家のものではありませんでした。
時間になったので「幸喜屋」へ。
地元では有名な料亭らしく、資料館の方にも「あそこはいいお店ですよ」と言われました。 城下かれい定食(5,000円) ▼城下かれい 刺身 プリプリした食感でした。 かぼすが添えられているのが大分らしい。 キモは少しずつ醤油に溶いていただきましたが、濃厚さがプラスされ味に変化が出ておいしかった。 紅葉おろしもいいアクセントになりました。
▼城下かれい 煮付け 身が分厚く、九州らしい甘めの味付けでおいしかったです。
▼お吸い物 ご飯 香の物
▼かぼすジュース フルーツ
これで5,000円はいいお値段だなーと思いましたが、ブランド魚なので仕方ないか。 泥臭さがまったくなく、上品な味でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.03 11:36:06
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