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(4)再発
その勉強会で感じたことは、何を専門として学んでいくにしても、まずは弁証法や認識論といった学問の基礎をしっかりと学び続けていかなければならないということであった。さらにもう1つ感じたことは、弁証法や認識論の基礎からの学びのためには、自らの専門分野を設定し、その学構築のためにこそ弁証法や認識論を学ぶのだという思いが必要だということであった。他会員は皆、自分の専門分野の発表を行っていて、その中でもその専門分野の弁証法性が取り上げられ、どのように考えていくべきかという認識論も議論されていたからである。 当時私は、どんな分野の仕事をするにしても必ず必要になるということで、弁証法の基本書・教科書である三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』をものにするために、その筆写を行っていた。ここで「仕事」とは、単なる職業上の仕事のことであって、もっと昇進して、どんな仕事上の問題でも自らの頭脳で解決できる頭脳を作りたいというレベルでの思いであった。しかし、年に3回ほど開催されていた京都弁証法認識論研究会の合宿形式の勉強会に参加し続けることで、その思いは学問構築という仕事を全うしたいというものに変わってきていたのである。そこで筆写を終わらせるとすぐに、『弁証法はどういう科学か』の小項目ごとの400字要約に取りかかっていった。2011年12月のことである。そして2012年3月には、初のブログ掲載用論稿である「『弁証法はどういう科学か』の要約をどのように行っているか」を本ブログに掲載したのである。 合わせて私は、自らの専門分野を何にすべきか、検討していった。やはり何といっても大学時代に中心的に学んだ言語学がやりたいと思い、他会員や指導者の先生にも相談しつつ、自分の専門分野を確定していったのである。2012年10月には、卒業論文に若干の解説を加えた論稿をブログ掲載し、12月の勉強会では初めて、言語学に関わる発表を行うことができたのであった。 2013年1月からは、毎月の学びを振り返るという作業も行うようになった。人生の目標として言語学の創出ということを志したからには、学びを継続的に行っていくとともに、さら深めていく必要もあると考えたからである。1ヶ月の学びを振り返り、次の月の目標を設定することで、持続的に学んでいくことができるようになっていったし、振り返りを行うことで、単に書物を読んでお仕舞いという学びではなくて、そこからどのようなことを考えたのか、しっかりと考察を深めていくこともできるようになっていったのである。この毎月の振り返りという作業は、徐々に会員間で広がりを見せ、今では全会員がこの形式を採用するようになっている。 2014年からは、毎月の例会にも参加するようになった。2013年の例会のテーマであったヘーゲル『歴史哲学』については、自分自身で読み進めて、ブログ掲載される例会報告を読んで議論を確認するという方式で学んでいたのであるが、それを2014年からは例会自体に参加し、議論にも加わるようにしたのである。私の住んでいるところは、他会員が住んでいる京都周辺からはかなり離れており、物理的な制約があると思っていた。つまり、例会は同一の場所に集合し、そこで膝をつきあわせて行っているために、私には参加が難しいと思っていたのである。ところが、そうした方式の例会では、たとえ比較的近くに住んでいるにしても、諸々の制約が生じるということで、その頃は専らスカイプによる方式に変更されていたのである。これなら空間的にいくら離れていたとしても問題ない。そこで2014年のシュヴェーグラー『西洋哲学史』の学びから、私も例会に参加させてもらうことにしたのである。2013年からブログ掲載論文の執筆にも本格的に参戦していた私は、例会報告の執筆についても他会員同様の責任を負うことになっていったのである。 専門の言語学の学びについては、いわゆる言語学史の研究を始めていた。古代ギリシャ、古代ローマ、中世、17世紀の『ポール・ロワイヤル文法』とロックの言語論、比較言語学、ソシュールの言語理論について、まずは大雑把ではあるが、大きな流れを捉えることを中心的課題として取り組んできているのである。合わせて、卒業論文でも取り上げた三浦つとむの言語過程説の理解を深めていくために、三浦の著作は勿論のこと、三浦が学んだ時枝誠記や三浦を学んだ宮下眞二の著作も研究してきている。かつ、こうした言語過程説の輪郭を浮き彫りにするために、その対照概念の1つでもある言語道具説についての論文も執筆してきた。 こうして私が京都弁証法認識論研究会に参加してからの流れを振り返ってみると、6年前までに完全に止まってしまっていた時計の針がやっと動き出したのでないかと感じられる。何かに夢中になることで自分を磨き上げ、鍛え上げていくというかつての自分の姿(?)に戻り、さらにそこから発展してきているのではないかと思えてくるのである。もちろん、研究会に参加してからも、なかなか思うように研究が進まず、停滞どころか衰退していっているのではないかという時期も幾度もあった。生活が乱れ、仕事だけは何とかこなしているが、研究活動は全くという時期もあったのである。しかしそんな時、必ず私の支えになり希望となってくれたのが、ほかならない研究会の会員だったのである。それぞれの専門分野は違えど、弁証法・認識論を基礎にして、学問を創造していくという共通の基盤に立っているからこそ、直接的な励ましはもとより、その学問への道を歩む姿を見せられるだけで、自分を奮い立たせ再生させてくれたのである。 ごく最近、テレビアニメの「メジャー」という番組を見た。主人公の吾郎が小学校に上がる前から野球を始め、最後にはメジャーリーグで活躍するという物語である。私生活では幼くして母を亡くし、幼稚園に通っている頃には父親も失ってしまうという逆境の中、どんな困難に突き当たっても必ず乗り越え、チームメイトにもその情熱で希望を与え続けていくのである。その一方で、吾郎も人間である以上、乗り越えられそうにない壁に阻まれることもある。もう諦めてしまうしかないのではないかという情況に追い込まれてしまうことが多々あるのである。しかしそうした時には必ず、かつて吾郎自身が救った仲間が吾郎の前に現れ、吾郎を窮地から助け出してくれるのである。まさに相互浸透による発展の物語であり、我々の研究会のあり方の理念を具体的に示してくれている物語だといえるのではないかと思ったものだった。三浦つとむも以下のように述べていたことを思い出さざるを得ないものである。「メジャー」はもしかしたら、こうした三浦の言葉を具体化したのもではないか、などと思わされるのである。 「政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。」(三浦つとむ『レーニン批判の時代』) 「孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。」(三浦つとむ『新しいものの見方考え方』) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年10月22日 06時00分26秒
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