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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2018年03月15日
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カテゴリ:言語学
(3)言語の直接の基盤となる認識と言語規範との概念の二重化、及び両者の連関を問う

 本稿は、言語規範と言語との区別と連関は如何なるものか、ここに言語の意味という問題はどのように関わっているのかを問うことを通じて、言語規範とは何かを明らかにすることを目的とした小論です。

 前回は、言語規範とは何か、その言語との区別と連関は如何なるものかを明らかにするために、言語の仮説的一般論を提示し、言語とは表現であり、言語規範とは認識であることを明らかにしました。もう少し具体的に述べれば、言語というものは人間が思い描く頭の中の思いやイメージを他の人間に伝えるために生み出された物質的な音声や文字それ自体である、ということでした。また、言語規範というものは、端的には観念的に対象化された意志である規範の一種であり、具体的には「ある特定の認識の表現には特定の文字や音声を使わなければならないという、また逆に、ある特定の文字や音声を受け取ったら特定の認識を思い浮かべなければならないという、客観的な約束事」であるということです。この言語規範は、言語の目的である「人間が個別的・特殊的・一般的な共通の像を正確に描くために」創りだされたものである以上、社会的な性格を持ち、さらに人間の頭の中に存在し、自らの行動を規定する、あるいは自らに命令する役割を果たすものですから、ここを捉えて「規範」だと言えるということでした。

 さて今回は、「観念的に対象化された意志」である規範について、もう少し突っ込んだ検討を行い、その性質を明らかにすることで、言語規範とは何かをより構造に分け入って検討していくことにしましょう。

 前回、規範というのは端的には、「観念的に対象化された意志」のことであり、規範は自らの行動を規定する、あるいは自らに命令する役割を果たすものであることを説きました。

 例えばある個人が、自分の健康や金銭的な問題を考えて、今まで好きで飲んでいたお酒をやめ、タバコを吸わないようにしようと決意したとします。このとき、この人間の頭の中には「観念的に対象化された意志」が形成されたことになります。この認識をいつも忘れず決意を継続させるために、この「観念的に対象化された意志」を物質化して、机の前に「禁酒・禁煙」と書いた紙を貼ったりもします。

 ところが2,3日もするとこの決意が揺らいでいくことになります。おいしいお酒を飲みたい、タバコを吸ってスッキリしたいと思うようになってくるのです。ここで生じてきた意志は、「観念的に対象化された意志」とは対立する性質を持つ独自の意志です。一方ではお酒を飲みたい、タバコを吸いたいという独自の意志が存在し、他方には「禁酒・禁煙」という「観念的に対象化された意志」が存在するのです。この場合は、「観念的に対象化された意志」は個人的な意志であって、これを破棄してお酒を飲みタバコを吸ったからといって、それは何ら他人から責められるものではありません。

 しかし、「観念的に対象化された意志」はこうした個人的なものばかりとは限りません。二人の人間の間での約束、例えば「何時にどこどこであいましょう」「そうしましょう」という特殊な形態の「観念的に対象化された意志」も存在します。また、社会の中で普遍的な形態をとった法律と呼ばれる規範もあります。この法律という規範には、特定の個人が従うという特殊な形態ではなくて、その社会に属する全ての人間が従わなければなりません。こうした規範は、個人が勝手に「観念的に対象化された意志」を破棄して、例えば商品を受けとったにもかかわらずその代金を支払わなかったり、人の体を傷つけたにもかかわらず何の罰則も課されないでいたりすることはできません。自らの行動を規定する、あるいは自らに命令する役割を果たす規範は、個人の頭の中に存在していて、個人の独自の意志を規定したり制限したりすることになるのです。

 このように規範一般を見てくれば、規範というものが個人の独自の意志に対立する、社会的な客観的な意志であって、個人の独自の意志が常に変転しているものであるのに比べて、規範が一定の期間については変化しないもの、固定化されたものであることが分かると思います。意志を対象化した時点でのあり方が固定化され、運動・変化・発展する独自の意志を規定しているのです。個人の頭の中で、社会的な・客観的な・意志と個人的な・主観的な・意志とが二重化する形で併存しているとも言えるでしょう。

 ここで言語規範について考えてみましょう。言語規範も規範である以上、個人の独自の認識とは相対的に独立した、ある程度固定化された社会的な認識です。つまり、言語として表現される認識と言語規範という認識とは、関係はあるが別個の存在だということになります。言語として表現される認識は個々の言語が成立する直前に認識として成立する、いわば生きた・個人的・具体的・認識ですが、言語規範という認識は、特定の認識と特定の音声や文字を結びつける約束事として成立している、対象化された・社会的・抽象的・認識だということになります。

 言語を表現する個人は、「ある特定の認識の表現には特定の文字や音声を使わなければならないという客観的な約束事」という社会的な存在を自身の頭の中に観念的に対象化していて、この言語規範を媒介として、自分の時々に思い描く思いやイメージを言語化するのです。ここに、独自の意志と規範一般との意志の二重化の特殊なあり方として、言語の直接の基盤となる認識と言語規範との概念の二重化が現れてくるのです。(*)

 ここで「概念」というのは簡単には、対象の具体的な感覚的なあり方を捨象し、それがどんな種類に属するかという種類としての共通性だけを抽象した認識のことです。言語として表現される認識はこうした概念であって、つまり感性的な認識ではなく超感性的な認識だということです。

 例えば、ある特定の「犬」を対象として、それを絵画で表現する場合、その認識は対象の感性的なあり方(形、大きさ、色彩等)を捉えた感性的な認識として存在します。その認識を直接感性的なあり方として表現することができます。ところがこの特定の「犬」を対象として、それを言語で表現する場合、その認識は対象の感性的なあり方(形、大きさ、色彩等)を頭の中で無視し、どんな種類に属するかという種類としての共通性だけを分離して捉えた超感性的な認識として存在することになります。この超感性的な認識は、直接感性的なあり方として表現することはできません。ここにこそ、言語という表現の特殊性である言語規範が成立する必然性が存在することになるのです。

 言語として表現される認識は、言語規範という認識を媒介として、初めて言語として表現されるということになります。逆に言えば、概念は言語規範を媒介とすることなしには表現され得ないのです。言語という表現にはその特殊性として必ず言語規範が伴うこと、言語の直接の基盤となる認識はこの言語規範を媒介として表現されることを理解することは、言語の本質的把握に大きく影響を与えるものと言えます。

(*)言語の直接の基盤となる認識は、単なる認識として存在するものではなくて、表現したいという積極的な認識であり、目的的な認識であると言えます。言語規範についても、特定の認識を表現するためには特定の音声や文字を用いなければならないという意志だといえるでしょう。よって、言語成立の過程における概念の二重化は、意志の二重化の特殊なあり方だと言えるわけです。





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最終更新日  2018年03月15日 06時00分10秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

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