豊かになるために壊す
新年早々の某新聞の1面にこんなセンセーショナルなタイトルが踊っていました。内容はというと、「5階建てマンションの4,5階を切り取り、3階建てにする。並んだ3棟のうち真ん中を壊し緑地にする、ぽつんと残された家屋を移築し森に返す。」これは、国土交通省が描くこれからの郊外再編のシナリオの一つです。さらに続けて「放っておけば孤立した老人の介護で行政コストも増す。取り壊して地域を守ることも選択肢の一つ」というのは国土技術政策研究所の長谷川洋主任研究官の言葉。共通するキーワードは「減築」。ドイツでは既にこの減築に取り組んでいるとか。ところはベルリンから1時間。フランクフルトはオーデル市。70年代に建設されたニュータウンで、かつては9万人近くいた人口が、東西統合を機に西側に流れた結果、6万人ちょっとまで激減、街に大量の空き家が発生し、荒廃と高齢化が一挙に進んだため、市は2010年までに7500戸を壊す計画だという話です。「これまでは街を大きくすることが目標だった。これからは量ではなく生活環境の質を高めたい。跡地に施設はつくらず緑地に回復させる」というのは市長の言葉。「創造的破壊は必然である」。これは昨年某大手シンクタンクがまとめた「2010年の日本」という報告書の中の一節です。人口減に伴い、道路や学校など社会資本が過剰になると指摘、壊していくマイナスの発想への転換が打ち出されています。これら一連の記事の意図は知る由もありませんが、この某大手シンクタンクの予測の信憑性はさておき、政治経済に翻弄され続け、膨れ上がった都市を如何に縮小均衡させ得るかは、21世紀の大きな課題であることは間違いなく、その意図が僕たち国民への注意喚起だとすれば、その役割は十分に果たされているような気がします。さて典型的な郊外「多摩ニュータウン」は如何に?多摩ニュータウンの場合、人口だけを取り上げると、かつての勢いを確かに失いはしましたが、実はいまだに増え続けています(多摩市は微減、ただし世帯数は増)。だからそれは当たらないと一蹴することは簡単ですが、一方で進むマンションの老朽化と急激に進む少子高齢化への対応は避けては通れませんし、人口増がいつまで続くのか、キャパは限られているわけですから、そのような状況にいつ転じるかは予断を許しません。いずれにしても、そのような時代の変化に敏感であることがとても重要なことだと思います。恐らくその鍵を握るのは、僕たち住民であることは間違いないというのが僕の持論ですが、郊外がただ寝に帰るだけのベッドタウンから如何に脱却するか、出来るか、それは僕たち一人一人の暮らしに対する意識改革なくしてあり得ない。何をめざして生きるんや?これは以前紹介した街育ての達人「延藤安弘」さんの本のタイトルですが、その問いかけの裏には、自分さえよければ、我が家さえ良ければという自己中心的思考から、みんなが住み続けられる持続可能な街をどうやって育んでいくかという、一人一人の暮らしに対する考え方を相対的思考に変換することが隠されているような気がしています。*写真は多摩ニュータウン開発初期の団地の風景です。板状の何の変哲もない建築ですが、シンプルなデザインと住棟間の豊かなオープンスペースに時代を超えた普遍性を感じます。ここでは壊すというより如何に修復利用していくかと言う発想が求められているような気がします。