怒涛の一週間
先週の後半から勝手に休んでいたこのブログですが、よりによって連荘となった仕事の山を無事越えることが出来たのでまた復活です。気分的には一仕事終えてちょっと一休みという感じでしょうか。また2,3週間後に一山あるので気が抜けませんが、この業界、年度末にかけてこうした山が次から次へと重くのしかかってきます。ちなみにこの業界の年度末は往々にして連休前にずれ込むことしばしばです。しかし、いつも思うんですが、普段プランニングの仕事をしているのにも係わらず、その仕事自体、これまで計画通りにいったためしがない。「今日できることは明日やればいい」という楽観的な性格を時々うらんだりしますが、実際、プランニングという領域は、正解があるわけではなく、これでお終いという終点があってないようなもの。切羽詰らないとよいアイデアが搾り出されなかったりするので、もーあきらめています。まー、どれだけ自分を追い込んでいけるかという自分との戦いでもあるんですが…、いかんなーと思いながらもついつい甘い誘惑に負けてしまい勝ちです。ところで29日の火曜日、つくばでの打合せの帰りのこと。昼ごはんを食べ損ねておなかがどうしようもなくすいていたので、つくば駅のKIOSKで取り急ぎキットカットを買ってほうばろうとしていたところ、後ろから「宇野さん!」と僕を呼ぶ声がします。「えっ!」と振り向くと、その人は以前このブログでも紹介したことがある宮越さんでした。「こんなとこで何やってるの?」という言葉がほとんど同時に飛び交います。すごい偶然にびっくり。宮越さんは街づくりにも精通している建築家で、独立する前は現代計画研究所にお勤め。独立後は入間で「木住研」という設計事務所を主宰する傍ら、「木の家大好きの会」といういかにも物好きそうな団体に所属。そのまた傍ら「まちづくりサポ-ネット元気な入間」にもコアメンバーとして名を連ねるという物好き、いや失礼、活動家でもあります。この日は何でも、つくばにある防災研究所で木造建築の耐震実験があったとかで、はるばる入間からやってきたのだそうです。きっと何か縁があるのかな?余計な話ですが、宮越さんが以前勤めていた現代計画研究所には僕と同姓同名のスタッフがいます。いやいました。独立してもう5,6年になるかな?10年ぐらい前かな?一度だけ一緒に仕事をする機会があったのですが、発注者側の担当者は「アトリエUの宇野さん」「現代計画の宇野さん」と宇野の名前の前に一言付け加えないと相手が特定できないので困っていました。宇野はともかくよりによって下の名前を同じ健一にしなくてもと、親の顔を思い浮かべたのはきっともう一人の宇野さんも同じなんだろうな…。彼は今練馬で「アトリエグローカル」という設計事務所を主宰する傍らNPO練馬まちづくりの会のメンバーとして活躍中です。