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年中夢求!!『ダントツ夢創り』の道

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2023年07月26日
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カテゴリ:社会
昨日、ボクシングのWBC・WBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチで、前4団体統一バンタム級王者の井上尚弥が2団体統一王者スティーブン・フルトンに挑み、8回1分14秒で勝利を収めました。

YouTubeでその試合、特にKOシーンを何度も見たのですが、まさにモンスターという表現がピッタリなスピード・テクニックなど全てが完璧に見えました。

フルトンの母国であるアメリカのマスコミも「ナオヤ・イノウエは人間ではない!」、「野獣は残忍なまでのパワーを示した」と井上の圧倒的なパフォーマンスを称えています。

では、このようなモンスターはいかにして誕生したのか?

Numberに原点秘話が紹介されていました。

~ここから~
20世紀最後の年、小学1年生の尚弥は父・真吾さんの姿を見て、グローブを手に取った。10代の時に空手で鍛えるなど格闘技好きだった真吾さんは当時、アマチュアボクシングに励んでいて、家の中には鉄アレイなどが転がっていた。父が部屋でトレーニングする姿を見て、尚弥はボクシングをやりたいと訴えた。真吾さんはこう振り返る。

「自分は真剣にボクシングをやっていたから、趣味の延長みたいな感じで教えるのは嫌だった。ボクシングはそんなに甘くないんだよ、殴り合いだし、ケガもするし、試合になれば減量もあるし……と。そうしたら、ナオは『約束する。俺は強くなりたいんだ』って。相手は子供でも、男と男。中途半端なら教える気はなかった。強くなりたいなら、親として100%、サポートしたかった」

ボクシングの基本を徹底的に仕込んだ。尚弥は来る日も来る日もジャブを打った。毎日、同じ動作の繰り返し。

「今のナオを見て天才、と思う人がいるかもしれない。冗談じゃないぞって。どれだけ練習して、どれだけ苦労していると思うんだって。できないことをできるようにするために、血と涙がにじむような練習を、小1の時からやってきたんだから」

真吾さんの言葉に自然と力が込もった。

体力向上のために練習も工夫を凝らした。家の外にロープをつるし、それを腕の力だけで上らせた。「握力、腕力、肩、腹筋、背中など全身が鍛えられた」という。高校3年時には緩やかな上り坂を使い、止めた軽自動車を体の力だけで70~80mも押し続ける練習をさせた。このトレーニングは真吾さんが「プロレス漫画を見て思いついた」ものだ。ただ、単なる思いつきだけではなくそこには将来を見据えた理由があった。プロになって「試合で、もみ合いになった時に体がブレないように」。体幹を鍛えることを目的としていた。

真吾さんは中学卒業後、塗装の仕事に就き、20歳で起業した。尚弥とWBA世界バンタム級王者・拓真兄弟には、ボクシング以外の世界も見せたくて、塗装の仕事場に何度か兄弟を連れて行った。父は息子たちが、単にボクシングが強くなることだけを望まなかった。

「ナオには3回くらい仕事場を見せた。父さんは昼間、こういうことをやっているとか、何人も使って、どういう指示をしながら、どういうことをやっているのかを見せたかった」

仕事の帰りに、尚弥と一緒に食べたラーメンの味と息子の目の輝きを今も覚えている。

尚弥が高校を卒業してすぐに、アルバイトをさせたこともあった。品物を梱包し、それを仕分ける仕事だった。プロボクサーになる直前の短い期間だったが「どこかに勤めて、そこのルールで仕事をして、お金をもらうということを味わってもらいたかった」と話す。

実は真吾さんもまた、家族の大きな背中を見て、生きてきた。真吾さんの母方の祖母(尚弥の曾祖母)・文子さんは自営のほか、病院での調理など様々な仕事で家計を支えた。真吾さんが10代の頃に取っ組み合いのケンカもしたという祖母の体力は、90歳を超えても腹筋を毎日300回こなしたというエピソードを生んだ。母のまり子さんも大型免許を取得して仕事をして真吾さんらを育てた。祖母、母から受け継いだ生き方を、真吾さんは子どもたちに引き継ぎたいと思った。

尚弥に反抗期は“無縁”だった。両親には、子供は目の前のことに納得できないから反抗するのであって、納得できれば反抗する必要はないという思いがあった。「自分はいつも子供の味方という気持ちが強い」と言う真吾さんは「子供たちのために何をやればいいんだろう」と常に考えている。

「そういう気持ちが伝わればいい。子どもたちが何かをして怒られたとしても、何で怒られたのかが分かれば、彼らには反抗する必要がないですから」

尚弥は「練習がつらい」とは決して言わない。誰のために厳しい練習をしているのかが明白だからだ。きつい事をやれば自分に返ってくる、つまり、自分が強くなる、ということが分かっている。「だから、きつい練習も楽しくできるんじゃないですかね?」と真吾さんは笑う。

尚弥という名前は、「お和尚さん」の「尚」に由来しているという。

「まっすぐに、という意味でつけた。すごく、いい字だと思う」

両親の願いどおり、尚弥はまっすぐに成長し、前人未到の高みに立った。

「あの時のラーメン、ナオは覚えているかな? そういうのって、覚えているものですかね?」

思い出したように呟いた父は、照れくさそうに笑った。
~ここまで~

まだまだ井上尚弥のモンスター伝説は続いていきます。

大谷翔平に並ぶ、世界的スーパースターと言っても過言ではない存在ですが、ボクシングに純粋に取り組み、楽しんでいる姿は二人の共通点のようです。

ここからもっともっと世界を驚かせて欲しいです!





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Last updated  2023年07月27日 18時48分01秒
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