日本国はなぜ「節約」しなければならないのか?
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現在の日本に住んでいると、「節約」は当然のような雰囲気です。節電はもとより、何でもかんでも節約することが「良いこと」のように言われます。
ある国が「国単位で節約をする」というのは「悪」です。それは、簡単な理由があるからです。
1)節約すると国民の総活動量が減るから国が衰退する、
2)節約すると国民が「人生で得られるべき楽しさ」を犠牲にしなければならない。
このことは、次の2つの典型的な結果からもすぐわかります。
1)中国が尖閣諸島を取りに来たこと(ここ22年、日本が節約し中国が自由に使ったので、現在の日本の国力は中国の2分の1。両政府の計画では2050年には中国は日本の10倍になる)。その時に中国に取られるのは尖閣だけではないでしょう。
2)日本人の1年の平均旅行日数は2日。ヨーロッパ20日。有給休暇取得日数 フランス36日、日本8日。人生の過ごし方という見方をすれば、ヨーロッパ人は人間、日本人は家畜という感じの差があります。
ある若い男性からメールをいただきました。「僕は毎日、真面目に働き、普通の生活をして、残ったお金は貯金しています。僕は何のために生きているのでしょうか?」 まさに現代の大人が意味の無い節約を進め、若者の人生を奪っている様子がわかります。
かつて江戸の職人は「朝飯を食ったら仕事にかかる。そしてガキとカカアのメシを稼いだら、遊びに出る」ということでした。その日の仕事が終わるのはおおよそ2時頃で、それから吉原に行ったりしていました。人間は「遊ぶため、自分の時間を使うため」に生きているのであり、むしろ仕事はそのための「必要悪」とも言えます。
ところで、国が節約をする必要のある時は、
1)戦争の予定がある(明治時代)、
2)通貨が暴落した
などに限定されます。でも今の日本は戦争の予定もないし、通貨も超安定しています。こんな時こそ、国は「ドンドン活動し、遊んでください」と呼び掛けるのが正常と言えます。
なぜ、国は「節約が大切」と言っているのでしょうか。これも先回の個人の節約と同じく、「中央官庁と知識人のチームプレー」と考えられます。国単位で節約するとお金が余ります。そこでそれを、100兆円を超える国家予算に使う(政治家や官僚の権限が及ぶお金)、海外に支援をしてそのキックバックをもらう(海外に1億円を支援すると1000万円がその支援した個人に戻る)という二つが考えられます。
そんなことをしたらすぐバレると思いますが、そうでもありません。何しろ鳩山元首相のお母さんが息子に毎月1600万円をあげていても、検察も税務署も気がつかないのですから、日本の上層部(マスコミも含め)はお互いにゆるゆるでやっているということです。
それにしても奇妙です。憲法には「勤労の義務」が定められていますが、これは「日本人は誰もが汗を流して働き、豊かになり、みんなが幸福に楽しく人生を過ごすことができる」と考えて定められて居ますし、日本の風土や気候、日本人の能力や誠実さがあれば「普通に生活していたら楽しい日本」ができるはずなのに、なんでこんなにねじれているのでしょうか?
日本は節約などしなくても堂々と国際的にやっていけるだけの力があり、現実の経済力、技術力もあります。それなのに夏は冷房も思うように使えずに苦しみ、冬も寒さに打ち震える先進国などどこにあるのでしょうか? 少数の役人や電力会社のために、多くの国民や若者が貧弱な生活を送らなければならないのは実に理不尽です。
また現在の日本社会がまるで「相互監視社会」のようでもあります。ちょっと贅沢をしたり電気をつけっぱなしにすると「なんだ!」と政府の虎の威を借りて居丈高になる市民もいます。そのために、市役所は「不当なバッシング」を恐れて廊下の電気を消すという異常さです。
明治天皇がかつて期待した「万機公論に決すべし」という日本は遠く去って行ったように思います。その多くの原因は、「時間の経過がもたらす時代の腐敗」と「日本人の資質と教育の間違い」であると考えられますが、決して放置しては居られません.これも徐々に整理を進めていきたいと思います。
(平成24年11月9日)
武田邦彦