昨日、不思議な夢を見た…。46
あとがきに変えて
古希の時に、
「倉子城物語 倉子城草紙」を出版して五年の歳月が通り過ぎている。
歳を取るということは何かおもちゃが必要であることを感じた。
戯曲を書くのをやめてもう十五年になる、が、何かしなくては退屈でしょうがない、世界、日本の歴史、世界の宗教、文明の遺跡などに興味がありその方面のことをつぶさに眺めていた。
そんな中で、「砂漠の燈台」を書き始めていた。これほど時間をかけた作品はない。爾来、私は速筆な方で構想がまとまれば一晩で書き上げたものだが、やはり歳なのか、それに書き進めているうちに新しい発見をしてついついそれをどのように入れ込むかという問題もあって、書き始めて、気分のいい時には書き進めることが出来るが、自律神経失調症に左右され何か月を費やした。
この物語は一人の女性の心の成長を日本の文明と重ねて書いた。人様に読んでいただくためではなく私がこのような物語が読みたいと書き進めたものです。
そして、三十歳で書いた「天使の子守唄」添えさせてもらった。老人の性を問いました。
「麗老」は定年をした男がいかに生きるのかを一面的な視点で書きたかった。綺麗に老いる、それはどういう性質のものか、真実などあるわけもないことを承知していた。少し遊び心を入れて重たいテーマを軽く書こうとした。老いという側面を多少なりともかけていればと思いたい。書いた後、私には弁解の余地などないことを承知しています。読まれた方がなんだーと思われてもそれについて煩労をする勇気もない。こんな生きかた、があってもいいとご寛容に理解していただければ、書いた甲斐があったというもの、書き手のいい逃れは一切しません。
本にするつもりはありませんでした、が、草稿の原稿を読んだ人から本にしてという要望が多くあった。その人たちに後押しされて出版することにした。貧しい知識の中に出来上がったものをと思うけれど開き直っています。
この作品集を出版するに至って「幻冬舎」の編集者下平駿也さんに多大なる支援を頂きましたことを御礼申し上げます。
今、書こうとしている「めぐり来る季節の中で」の構想がまとまらない。これは秋子の一生を書くことにしている。戦前に生まれ戦中を過ごしそして戦後、平成29年の春、桜の満開のもとで旅だつとしている。その生きた期間に何を感じ生きていたのかがこの作品のテーマでもあり、そこに新しい女性の生き方を、今まで感じなかったことを書き加えるつもりでいる。秋子の子供たち、孫たちの人生は秋子の人生の中に組み込まれているものとした書き、そこに色々な亀裂を乗り越えなくてはならない秋子の生き方が絡んでくる。
「春告げ鳥」夏告げ鳥」「秋告げ鳥」「冬告げ鳥」と章を分けて、秋子が書いた日記を読み孫たちの人生に対しての真摯な生き方を問うことになる。
人が生きていくうえでどうしても避けられないものがある、そのことを重点的に書き表したい。
こんな夢のような作品が、なぜ今なのかということは、現代の世相が男も女も本能というものを考えないで生活し、未来を予言することが必要だと考えたゆえんでもある。
誇大妄想の夢を書き表そうとしている75歳の春の終わり、夏告げ鳥の鳴く燕の声に託したいと思っている。