いつかと何処かで・・・。26
倉敷は一日中どんよりしていた。風もなく、雲は梅雨空に見えたが雨は降りそうになかった。背中が痛く、頭が重い、呼吸も浅い症状だった。
昨日晩、幻冬舎から最終校正提案がメールで届いた。文字の統一が主だった。時をとき、事をことにしていいかという事でそれが編集のルールだと言った。私はどちらでもよかったからお任せすると返事をした。
これからそれを直して製本にかかるという。来月の終わりには完成し全国の本屋さんや、Amazonにて通販されることになる。
今小説なるものが読者に受け入れられるとは思っていない。まあ、読んでくれる人がいれば奇特なお人と思いたい。
なぜ、遺作として書いたものを出版するのか、お祭り騒ぎが好きなのかもしれない。最後の花火と思っているのかもしれない。
劇作は「日本演劇協議会」が戦後の戯曲の変遷として全国で公演されたものを全10巻に収めた、その中に120作ほど紹介されている。また、文化庁の要請で早稲田大学が公演の映像をデジタル化して保存してくれている。
これらは私が劇作家も演出家もやめた後のことで、出演した多くの人たちにとってよかろうと資料を提出したものだ。
決して私から望んだものではない。私は自分の作品が舞台で公演されているものを観客席から見たことがない。劇作を書いた時点でその作品から離れていたからで、次作を書いていた。
劇団を主宰しているときに3年間で3千万円提供するからという提案が国のある機関からあったが、国民の税金を演劇に浪費することと、ひも付きになることを良しとしなくて断った。貰った人もたくさんいた。
私は好きなことをする人たちはまず身銭を切れという考えだったので、身銭を切らずに人間は成長も責任も生まれないと考えていたのだ。いとも簡単に行政の支援を受けて公演する団体の衰退を見てきた。金がなくては何もできない実態はあるが、好きなことをするのだから何かを節約しても身銭を切れという事だった。
私の考えが正しいかどうかはわからない。が、それが私の矜持でもあった。
今の日本では、宝塚と劇団四季くらいしか儲けてはいないことだろう。後はひも付きで公演しているところが多い。
俳優も役者も食べられるのはほんの一握り、あとはアルバイトで食いつなぎながらスポットライトが当たる日を待ち続けているのが現状だ。ひと昔前の演劇人たちは酒も女も男より舞台が好きだという人たちがやっていたが、今では女に男にもてたいという人たちの方が多いし、金をほしがる人達であふれている。
私達との時代との乖離を感じている。
60歳に何もかも辞めてから新聞も、テレビも、映画を見ていないからそのあたりのことには疎いが、流れてくる情報をもとに書いている。
作家も今の人たちは知らない。買わないし読んでいない。
そんなこともあって現在の出版社のことには疎いというところがある。昔、編集して本を出していた時とは違うようだ。
私は三島由紀夫氏が自決して以来日本の文学は終わったと思っている。作品を書く上で辻邦生氏の作品を読んだ程度だ。
私は60歳で遊び人になってからのために若い頃から5千冊ほど買いそろえてきた。そこには文学、哲学、心理学、などなく、人間の細胞、遺伝子、地球学、宇宙、歴史、古代文明、など今まで読まなかった本を買い求めていた。
計画通りにはいかずに開いていない本が多い。
蔵書を図書館に寄付したいと言ったら断られた。
5千冊ほど書斎をリフォームするときに破棄した。図書館にない本だけを残したがよくも読んだ、買ったということで呆れた。
今は原稿用紙に書くこともなくワードに打っている。
だが、原稿用紙に書き連ねることに哀愁を感じる歳になったのか、今では時にその升目をうずめている自分がいる…。