明日は今日よりすばらしい・・・。1
倉敷は今日も燃えている。
風は熱風が流れ拒否しているようだ。
北陸や北海道では集中的に高雨量であるらしい、事故のないことを願っている。天災は毎年あっている、そのための防災の準備ができていない、この国は人が死ななくては何も前に進まない。
自然をないがしろにしている証だ。台風や地震に対しての付き合い方も忘れたというのか、自然が作り上げた斜面を造成すれば水害による家屋の崩壊は想像できたはずである。一部の人たちのために日本国土の一つの県に相当するゴルフ場、自然の営みから生まれた自然林を植林地にする、植林されて物は大きく育っても根を張らないから保水能力はなく流され流木となって川を下り堰き止めて一層氾濫する。毎年のその繰り返しである。
江戸時代の藩の殿様は領内の防水を第一に考えていた。
政府も、地方地自体も考えているとは思われない。温暖化、エコに3兆円も使い、防災には何百億とは情けない。
反対の人がいるかもしれないが、私はインフラにもっと投資しろという考えである。必要としない設備投資も盛んだが、全国の各県になぜ飛行場があるのかと訝る人も多かろうが、それは有事を設定して作られている。私の住む倉敷にも100メートル道路があるが、その道路は三菱重工の前まで続いている。これは普段は全く必要のない道路である。が、飛行場になる。また、全国を高速道路が走っているが、それは自衛隊の車両が緊急に走るために作られている。これも国防の一環である。
このように書くと私を右翼に染まっているという人もあろう。しがない戯作者をし、その頭で妄想をしたこととして聞いてほしい。
が常に国民を守るために作られているという考えもあっていいのではないか。
私は幸か不幸が反日教育を受けてはいない。戦後の教育を受け復員してきた先生に教えられた。その先生から戦争の実態と人ではない心理の状態を学んだ、と言っても当時は勉強などしていなかったからまともに聞いていなかったともいえる。
その頃はみんな貧しかった。平等にひもじい思いをしていた。
あの頃の子供たちはそんな状況にあっても明るかった。ポケットには夢と希望があふれていた。
学校給食が始まったのは小学3.年生の時だった。机の上にコッペパンと脱脂に乳がのった。
野球少年であり映画少年でもあった、そんな中で生活していた。
ラジオでは「赤胴鈴之助」「新諸国物語」などが流れ、子供たちはラジオにかじりついて聞いていた。菊田一夫の「君の名は」で風呂屋が空になっていた。
源氏鶏太、北条誠、などが週刊平凡、明星に連載小説を書いていた。そのような大衆小説にも自虐史観は見られなかった。
楽しい恋愛物語だった。
時代小説では、柴田錬三郎、山手樹一郎、海音寺潮五郎、山本周五郎氏らが活躍していた。
その頃からたくさんの小説家が登場することになる。
志賀直哉、芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎、太宰治、坂口安吾、川端康成、そして少しして三島由紀夫、安倍公房、遠藤周作、松本清張、水上勉らの時代へと移る。
この当時には私も20歳を超えていたがなんでも読み砕いていた。ここに列記するには多すぎるので省略した。
映画の世界では何といっても、長谷川一夫、中村錦之助、市川雷蔵、勝新太郎、三船敏郎、石原裕次郎を上げなくてはならない。
その人たちによって日本の映画産業の頂点を期した。
それらの作品を読んだり見たりしても自虐史観はどこにもなかった。
「新日本文学」系の野間宏、埴谷雄高らの作品は読んでいない。
歌謡曲では、東海林太郎、藤山一郎、岡晴夫、小畑実、春日八郎、三橋美智也、並木路子、美空ひばり、菅原津ズ子、コロンビアローズ、以下と続いて島倉千代子につながりそこから大挙して歌手が増えている。
私たちより少し早く各県に国立大学が作られ駅弁大学といった。
今振り返ってみても、今のように千々に乱れるという世相ではなかった。60年70年を境にして大きく様変わりしていくことになる…。
そのことはまた別に記したい…。
明日は今日より素晴らしい…と書いているが人の心が豊かになり幸せになったかは、どうなのか・・・。