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スペイン雑貨店ROMERO

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2007/08/20
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山口小夜子さん死去 パリコレなど世界で活躍

 世界で活躍する日本人モデルの先駆け的存在で、演劇やダンスパフォ

ーマンスなど幅広い活動をしていた山口小夜子(やまぐち・さよこ)

さんが14日、急性肺炎のため死去した。横浜市出身。年齢および自宅

は非公表。葬儀は親族のみで済ませた。後日「お別れの会」を行う。


 杉野学園ドレスメーカー女学院卒。昭和47年、モデルとしてパリ・

オートクチュールコレクションでデビュー。黒髪に切れ長の目というエ

キゾチックな容姿で、欧州に旋風を巻き起こし、52年には米ニューズ

ウィーク誌の「世界のトップモデル6人」に選ばれた。同時期に欧州に

進出した日本人デザイナー、高田賢三や山本寛斎らの舞台には欠かせ

ない存在だった。

 俳優としても、寺山修司演出の舞台「中国の不思議な役人」(49

年)や勅使河原宏監督の映画「利休」(平成4年)などに出演。演劇や

映画、コンテンポラリーダンスなど幅広く活動の場を求めていった。近

年は「ウエアリスト」を自称、ファッションを含む新しい表現を模索し

ていた。



 ■デザイナー・ブロデューサー、山本寛斎さんの話 「1970年

代、世界へ挑戦したわたしたち日本人デザイナーの衣装を身にまとっ

て、その情熱を表現してくれたすばらしいモデルでした。『日本の女

性は美しい!』と世界の人々に感じさせた最初の人だと思います。欧

米に日本の美学を伝えてきた同志を失い、言葉が見つかりませんが、

時代の先駆者として道を切り開いた彼女の熱き心は、次なる世代に必

ず引き継がれていくと確信しています」


 ■デザイナー、三宅一生さんの話 「たいへんショックを受けてい

ます。山口小夜子さんはモデルであり、同時に、さまざまな分野で活

躍する貴重な、すばらしい表現者でした。そしていつも、人々にイン

スピレーションをあたえつづける努力をしていました。私たちはこれ

からも、山口小夜子さんの存在を心の中に感じつづけていくと思いま

す」

(2007/08/20 17:37)




美しい日本の女性としての存在感だけでなく、広い感性と聡明さを併

せ持った方だったので、美しいままとはいえ、こんなに早くに逝ってし

まわれたのに残念な思いです。ここから下は彼女の語った言葉が載って

いたので、追悼の意味を込めて載せてみました。


一番下の蒙古斑革命っていう対談にその感性が良く現れていると思い

ました。


            news山口小夜子



 ◆水の元気を体に入れる

3月のパリコレクションで、久々に「ケンゾー」の舞台に立った。自由

を求めて旅する遊牧民のパフォーマンスで観客をぐっと引き込んだ。


「全身を使っての表現が私のしたいこと。モデルか、パフォーマーかと

聞かれますが、ジャンルにはこだわらないんです」


黒髪に切れ長の目。抜群の存在感で、20代で世界のトップモデルに。


1973年には資生堂専属モデルにもなり、広告や雑誌のグラビアを飾

る。

しかし、世界を飛び回る生活をしようとは、子供のころは思いもしなか

った。体が弱く、食も細かったからだ。楽にのどを通るのは、果物を搾

ったジュースと水。中でも、酒屋で水割り用に売られていた瓶入りのミ

ネラルウオーターが好きだった。

「まろやかでおいしくて。でも、当時は水を買うなんて、珍しいことだ

ったんでしょうね」

ほかの子供のように外で遊べず、楽しみといえばおしゃれをすること。

髪をきれいにとかしてもらったり、母親に服を縫ってもらったり。その

思いを胸に、服飾の専門学校へ進んだ。仮縫いのモデルを務めたのを

機にプロにと誘われ、瞬く間に売れっ子になる。


仕事で初めてパリに行った10代の時、ふと街角の雑貨店をのぞいた。

様々なミネラルウオーターの瓶を見つけて驚いた。普通の主婦が普通

に買い、瓶入りの水を飲むのは当たり前の暮らし。「国によって価値

観は違うんだ」と新鮮に感じた。


モデルといえば欧米人だった当時、日本では黒髪を茶色に染めろと言

われて悩んでいた。自分には似合わないと知っていたから。でも、価

値観なんて国が変われば変わる。それならしばられず、自分が思った

ようにした方がいい。「NOだったものがYESになった」。パリの

ミネラルウオーターは、そんな気持ちを代弁してくれた。


その後、黒髪のSAYOKOは、ファッションの世界にとどまらず、

音楽や演劇、ダンスと活動の幅を広げてきた。「好きな人、同じ気持

ちを持っている人とは、流れの中で出会ってきました。着ることは私

の原点。体を取り囲む世界を“着る”というイメージで表現していき

たい」今や日本でも水を買うことは珍しくなくなった。豊かになった

と思う反面、「命の原点でもある水が汚れた証しのようで悲しい」と

も。今も家には国産品と輸入品の二つのミネラルウオーターを常備し、

「水の元気を体に入れている」と言う。思えば近々出すCDにも“水

のように”という言葉が入っている。「不思議と水に縁があるのね」



透明でありながら、味があり、自由に柔軟に形を変える。ジャンルを

軽々と超えて活動する姿は、まさに水のよう。きっと見る人に元気を

与えてくれる。(大森 亜紀 )


やまぐち・さよこ 横浜市生まれ。杉野学園ドレスメーカー学院卒業。

ファッションモデルをする傍ら、寺山修司の演劇、ダンスの勅使川

三郎、天児牛大(あまがつうしお)らと共に活動。公演中の結城座人

形劇「夢の浮橋」では、人形デザインと総合監修を担当。DJやエッ

セー執筆も。

(2004年4月27日 読売新聞)


小夜子

「今ようやく学生の時にこうなりたいって目指していた自分になれた気がする」(東京・白金台の「ラディソン都ホテル東京」で=宮坂永史撮影)

山口小夜子●SAYOKO YAMAGUCHI

モデルとして時代を象徴する海外の数多くのデザイナーのコレクション

に出演。同時にダンスコンテンポラリーなどの舞台活動で前衛的な国内

外のクリエイションに参加・出演してきた。また、フランス批評家協会

最優秀作品賞を受賞した「オペラ三人姉妹」(リヨン国立劇場)を始め

とする舞台衣装のデザインやヘア・メイクを手がけたり、

音楽活動やクラブのDJ、エッセイの執筆など、ジャンルの枠を超えて独

自の世界を展開している。





●蒙古斑革命

蒙古斑革命
●第一章 内に秘めた強さ
●第二章 何かを創り出すこと
●第三章 自分のスタンダードを持つということ
●第四章 終わらない旅



taidan







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最終更新日  2007/08/20 10:58:54 PM
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