第150回 【坂道編(26)】 地蔵坂(じぞうざか) その4
(前回からのつづき)『寺じまの記』は『墨東綺譚』連載の前年の作品ですが、改めて目を通すと、作中に紹介される雷門からの「京成乗合自動車」のルートが、現在の[有01]系統とほぼ同じようであることに気がつきました。そして地蔵坂バス停についてはこんな記述があります。「次に停車した地蔵坂というのは、むかし百花園や入金(いりきん)へ行く人たちが堤を東側へと降りかける処で、路端に石地蔵が二ツ三ツ立っていたように覚えているが、今見れば、奉納の小さな幟が紅白幾流れともなく立っている」バスはこの後、荷風を玉の井へと運んでいきます。地蔵坂通り商店街はやがて水戸街道に出ます。これを浅草方向に少し歩くと、東向島1丁目交差点から地蔵坂通りと並行して墨堤通りへと伸びる道幅の狭い商店街がありますが、ここはかつて「鳩の街」と呼ばれた特飲街、通称赤線地帯の跡地でもあります。もとは空襲で玉の井を焼け出された私娼街の業者がこのあたりに移ってきたことに始まり、昭和33年の売春防止法成立により消滅しました。当時の様子は荷風の作品のほか、吉行淳之介『原色の街』や『驟雨』などに詳しく描かれています。かつての赤線地帯とはいえ、現在も鳩の街の名は商店街の名として消えずに残っています。歩いてみると、狭い通りの両側に様々な商店が所狭しと並び、昭和のまま時計の針が止まってしまっているかのような空間が延々と続いています。その商店街から一歩裏道へ入ると、所々に赤線時代の面影を残すスタイルの建物が、今も僅かながら残されている様子を見つけることができます。鳩の街商店街を抜け、再び墨堤通りを地蔵坂へと戻ります。さらに「旧墨堤之道」を歩き進むと、正面に白髭神社、その先が白髭橋となります。『墨東綺譚』に使われた木村荘八の挿絵の中に、白髭橋を描いたものがありますが、独特の重厚なアーチ橋は震災復興橋として昭和6年に架橋されたものですから、作品当時と同じ姿を現在も見ることができます。人気blogランキングへ