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バス停地名学のすすめ

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2007.07.22
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カテゴリ:墨田区
(前回からのつづき)

もともと中居堀は、江戸時代に深川、本所方面への給水に利用された本所上水の一部であり、万治年間(1658~61)の頃の完成といいます。その後、井戸の普及などにより享保年間(1716~36)の頃に廃止され、灌漑用水に転用されるとともに、曳船の川として旅人を運ぶ役割を担っていました。本所上水の本流は、現在も京成線と並行する曳船川通りがその跡にあたり、曳船の名は既にご存知の通り、東武線、京成線の駅名としても残されています。

中居堀通りを南へ歩くと、すぐに東武亀戸線の踏切りがあり、左手は小村井駅です。旧吾嬬村(吾嬬町)の大字だった小村井の地名が地図上から消滅したのが昭和5年ですから、この駅名も70余年にわたり失われた地名を後世に伝え続けたということになります。

踏切りの少し先には、平安時代末期に勧請されたと伝えられる小村井香取神社があり、その東側一帯が、江戸時代に梅の名所として知られた小村井梅園の跡地になります。築山のまわりに池を廻らした広大な庭園があったといいますが、明治43年の水害で惜しくも廃園になりました。現在は香取神社境内に100本余りの梅を集めた「香梅園」が整備され、毎年梅の季節になると、かつての梅園を偲ぶ梅祭りが催されるとのこと。

帰りは小村井駅から亀戸線に乗り、都心に残されたローカル線気分を味わうのも悪くないですね。

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最終更新日  2007.07.22 22:16:08
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