テーマ:韓国!(17270)
カテゴリ:韓国内旅行
先週のことになりますが、 韓国に帰って翌日、 1泊2日で百済時代の都、忠清南道にある扶余プヨ、公州へ行ってきました。
扶余、公州旅行は、在韓ネットブログ記者団の活動で、 偶然、日本からの帰国便をこの1泊2日の旅行の前日に取っていたので 助かった~~
私は、5月、6月と不参加だったので、7月も不参加だとヤバイ ことになるところでしたね~~
7月の日本は猛暑だったんだが、 ソウルは、ずっと豪雨で、韓国南部地方も雨の可能性が大らしいので 日傘と雨傘の両方を持って行きました。
日本でほおけていたので、 実は、この旅行のスケジュールも詳しく見ていなくて 朝、あわててタクシーで集合場所である韓国観光公社に駆けつけました。
今回の百済旅行は、バスで回るようです。 1列、2列のゆったり座席の快適なバスでした。
バスをちゃんと撮ればよかったのに、 相変わらず写真心得の全く無いほしそらですみません。
当日、韓国観光公社さんから渡された1日目のスケジュール表は 08:30 ソウル → 扶余 11:00 定林寺址見学 12:30 昼食 14:00 扶蘇山城ならび落花岩 16:00 薯童蓮祭見学 18:00 夕食 20:00 ホテルチェックイン
扶余は、2004年に かざはなセンセ~と、上代文学を研究されていた土井先生と訪れた懐かしい場所です。 古い日記を探してみました。お時間がある方は こちら 2004年には、まだデジカメを使ってなかったようで 写真が一枚もありませんね。 当時、土井先生は一眼レフの高そうなカメラを持たれていて 後で焼き増しまでして写真をくださいました。 日本の日本人の教授って、実績もあり研究も素晴らしいのに 偉そうぶらないで親しみやすい尊敬できる先生が本当に多いです・・・
8時半に韓国観光公社を出発し、 朝ごはんのサンドイッチをいただきながら、予定通り11時ごろには 扶余に着いたと思います。
朝ごはんは、絶対に食べないと気がすまない私は 家で食べてきたのに、サンドイッチをもらったらすぐに食べてしまいました。
定林寺址については、全く知識が無く 寺があった址=寺見学か~~~と思っていましたら
博物館見学でした。
なんだか、お地蔵さんみたいなのが・・・
観覧料は大人1500ウォン
まだ梅雨はあけていないのに、この天気。 一日目は、暑くて暑くて、参りました~
扶余では、ガイドさんが一日ご一緒してくださるそうです。 まずは、博物館内にて百済に仏教が渡ってきた歴史をお勉強。
百済の都と言えば、扶余プヨだと思っていたのですが、 実は、ソウル→公州→扶余と、遷都されていたそうです。
百済の歴代の王様の名前もお勉強して 聖明王(扶余に遷都した王様)や、 武王(誰?)というのがキーパーソンの王様であることも知った。
このテーブル?台座?は何だと思いますか?
囲碁の台だそうです。 こんなばかでかい台で碁をしてたんですか? 現代人よりも体は小さいと思われるんだが、どうやって碁を打ってたんだろう?
これは、父の実家の家紋と非常によく似ているので、 興味深くて写真を撮ったんだが
お城?王宮?に敷いていた石だったと思うんだが、 蓮の花の模様です。
父の実家の家紋は、まわりの○が九つだったと思うけど こちらは10個ありますね。
今、パンフレットを見てみたら 屋根瓦に同じ蓮の模様が付いてました。博物館では、足元に敷き詰めてたと思うんだが?
定林寺址で一番有名なものが 五重の石塔で、それの工事現場を再現したものがありました。
王様たちも工事の様子を見学?
この博物館は、途中に蓮池を挟んで
定林寺を再現した館へと繋がっていました。
ミニチュア版で再現
真ん中に見えるのが、五重の石塔、その奥が定林寺?
扶余で出土された有名な金でできた・・・ 説明をちゃんと聞いてなかったので何なんだ?
残念ながら写真が展示されているだけ。 (追記: 1993年に発掘された百済金銅大香炉というものだと、後でわかりました。)
国立扶余博物館(日本語ページも有)第2展示室に展示されているそうです。 余談ですが、上の白い建物が国立扶余博物館なんだそうですが、 (午後から訪れた扶蘇山城の中から撮った写真) 屋根の形が何かを連想させるので、取り壊すという話があるとガイドさんがおっしゃってました。 「鳥居」に似ているそうです。
やっと、五重の石塔を見るために外に出ると あつ~~~~~
次数オーバーだと言われたので、次ページへ続く
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