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さっきラジオを聞いていたら、屋久島の縄文杉の話をしていた
事の詳細はともかく、どうしても引っかかったことがある それは、そこに行くとパワーがもらえる という言い方だ・・・ なぜ引っかかるのかというと、考えが自分中心に思えてならないからである。 最近の風潮かどうかは知らないが、自分を良くしようという向上心から、利用できるものは何でも利用してやろうという、どん欲さならいいのだが、時にはそれを超えて、浅ましさを感じてしまうからである。 向上心は良いのだが、自分に最上の価値があるという考え方は、結果として自分を苦しめることにならないか? 常に自分が最良でなければならないという思いは、必要以上に他人との比較を招く。 良いと思ったことにはドンドン飛びついていかねばならない。 それって実は苦しくないか? 向上心や努力を否定しない。あって当然だし、時と場合によっては大いに必要だ でもそれだけでは苦しい。 ウツ病の原因の一つにもなりかねない。 縄文杉は樹齢7000年以上。人類が文明を興す前からそこにある 別に縄文杉は、人間にパワーを与えるためにそこにあるのではない。 こう言うときは、畏敬の念を感じるだけで十分である。 でも畏敬の念は概念としてわかりにくい パワーがもらえる とした方がわかりやすい 観光上の戦術として、わかりやすい言葉を使うのは当然である わかりやすい言葉は流布しやすい。 しかし、わかりやすい言葉は、時として本質をねじ曲げる。 わかりやすい言葉を聞いて、わかった気になるのはものすごく危険だ。 マスコミ情報に感化されすぎると、その危険性は増す。 相手からパワーを与えられて元気になる 感動をもらって勇気を得る そんな表現は少し脇に置いておいた方が良いと思う。 少しは気が楽になるのではないだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.10.24 15:46:27
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