テーマ:歴史を語ろうぜっ!!(184)
カテゴリ:日本史炸裂!!
名君保科正之がまつられている神社です。 土津神社・・・ 読めますか?(むずいですね) 昔、名君保科正之の幼年時代について書いたこともありました。 今日はその後のお話ですが。 保科正之は会津の藩主になりました。 そんで、有名な「会津家訓十五箇条」ってのを作りました。 「かくん」じゃないです「かきん」って読みます。 その中で、「会津はずーーっと幕府の味方をするぞーー」的なルールを作っちゃうんですね。 そんで朱子学をこよなく愛します。 学者さんも呼ぶ。 山崎闇斉を呼びました。 実際、日新館の中には山崎さんの石像がありましたし。 コレです。 こうやってリアルで目の当たりにすると入試でも間違えようがなくなりますね。 もともと間違えないけど(お? おまけに朱子学を否定した山鹿素行も実は会津だったりします。 会津は凄いです。 ヒーローだらけ(俺的に) その保科正之ですが、下馬将軍酒井忠清と同じく4代将軍家綱を補佐します。 酒井さんは群馬ですからね。(わたくしは群馬県人です) なんだか縁を感じます。 名君と名高い保科さんですが、保科さんの作った会津家訓がのちのち大変な歴史を生み出していくんですね。 会津戦争です。 保科さんは最後亡くなる前に。 自分が亡くなったら猪苗代湖が見える所に葬ってくれという旨の言葉を残しました。 実際に本当に猪苗代湖の見える山に保科さんの墓所は作られました。 山・・・ 登るのが大変です。 他にも会津の歴代藩主はみんな山奥に眠っています。 9代の松平容保さんなんかもエライところに眠っておられます。 あんまり山奥はやめてください。 お参りして帰ってくるだけで俺なんか虫の息です。 ヒザがプルプルしてしまいました。 汗だくでTシャツぐちゃぐちゃだし。 陸上部で鍛えた鋼の体も山道には勝てませんでした(ちゃんちゃん)。 保科正之墓所です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.06.02 23:54:19
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