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カテゴリ:女性運動のお姉さまたち
昨日のNHK、「その時歴史が動いた」は、「300万の署名大国を動かす、第5福竜丸が伝えた核の恐怖」でした。大昔の武将の話ではない、近い過去の話。
なかなか見応えがある、とても良い番組でした。 まず、広島長崎に落とされた原子爆弾は、悲惨な結果をその下に暮らす人々にもたらしたけれども、統治下、敗戦国の日本政府は、その被害を国民に知らせることができなかった。 そのため、被爆者の現状を人々は知らされていなかった。取材も、報道も規制されていたのだそうです。 そして、米ソの冷戦、核開発競争の中で大気圏での核実験が繰り返されます。 ビキニ環礁でマグロ漁をしていた第5福竜丸は、アメリカの核実験の死の灰を浴びて帰国します。 そして乗組員は次々と被爆者の症状を起こして倒れていきます。しかし、日本政府はアメリカ政府と核実験を支持、遺憾の表明すらしません。 国中大騒ぎになり、マグロや魚類は売れなくなります。いたたれなくなった一人の主婦が、新聞に投書をします。 「戦争に負けたから、子どもに安心な食べ物を与えられないなんて、なんて惨めなことでしょう」 それを読んだ主婦たちの投書が交換され、政府が動けないなら、私たち母親がなんとかしなければ、と、立ち上がります。 大気圏での核実験は、マグロだけでなく、高濃度の放射能を含んだ雨となって地上に降り注ぐのでした。 核実験反対の署名運動を始めた女性たちに、男性たちや科学者たちも加わり、全国に広がっていきました。 人々はまた、広島長崎の被爆者の事に思いを馳せました。そうすると、被爆10年経っても、いまだに毎年たくさんの人が亡くなり、また、原爆症で苦しんでいる人がたくさんいる事が分かりました。 その人たちの医療費の保障や、地球上から原水爆を無くそう、という思いはますます強くなっていきました。 アナウンサーは「組織に属せず、カリスマでもなく、ごくごく普通の主婦たちの運動」と話していましたが、その中には、平塚らいてうも、湯川秀樹夫人のスミさんもいたのです。 牽引車となり要となって活動していたのでしょう。 その頃は毎日のように病状が報道された、第5福竜丸の久保山愛吉さんが危篤となり、ついに亡くなった時、日本中に怒りと悲しみが渦を巻きました。 日本中の市町村役場に署名が届けられ、それを集めて、第1回原水爆禁止世界大会が開かれたのです。 すばらしいことに、世界中から膨大な賛同の署名が集まりました。久保山さんの妻、すずさんは「夫は、被爆者は自分が最後であってほしいと言い残して亡くなりました。」と、壇上で泣きました。 それから大国の意思でなく、世界の世論の力によって、大気圏核実験が中止になったそうです。 この署名活動が、世界世論が大国を動かす力になったのです。 昨年のクラスター爆弾禁止の条約も、世界の世論の動きなんだそうです。 今年も3、1ビキニデーが、焼津で開催されます。私は参加したことがありませんが、久保山愛吉さんのお墓までデモ行進をするのだそうです。 この頃のらいてうの活動をご紹介したくて「原始女性は太陽であった」を探したのですが、1、2巻だけあって、次が行方不明。 朽ちかけた第5福竜丸の保存運動をした人、乗組員の大石又七さんの姿も映像で流れました。 第5福竜丸の展示館に、保存運動の初めの頃の主婦の投書が展示されているそうです。とても素敵な、詩のようなものです。 一度見に行ってみたいです。 (行ったことはありますが、上の空だったので、記憶にありません) そうそう、この番組を見て、今は良い時代になったなあ、と思うのは、政府要人がドジを踏んでも、すぐに国民に分かる、ということです。 戦前はもちろん、戦後すぐはGHQの検閲があり、政府や米国がどんなごむたいなことをしても、いい加減な政治をしても、誰も知ることができなかったのですから。 国民は蚊帳の外!しかし、蚊帳の中も、なかなかしんどいものがありますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.02.19 20:00:38
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