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カテゴリ:日本と世界の文学論
秋の実りを探していたら、こんな実が見つかりました。家に帰って牧野富太郎で探してみたら、意外にも「ツタ」以外に該当するものがありません。 「ナツヅタ」「アマズラ」ともいうブドウ科の植物。アマズラだったら清少納言の大好物だけど。 食べられるのかな?子どもの頃、これを「馬の目ん玉」と読んでました。近所のガキ大将に、食べられない実だと教えられました。田舎の子ども丸出しですね~! ♪ツタのからまるチャペル♪と同じとも到底思えないんですけど。 さて、今週のNHK古典講読、上野誠先生の「万葉集」のテーマは、東うた、でした。巻14のすべては東歌だそうです。 上野誠先生によれば、古代の地方文化が万葉集で分かる。文化の中の最も大切なのは言葉、万葉集には地方の言葉=方言で書かれているものがある。 それは、1/東うた。2/防人のうた。だそうです。 東うたはどんなものを言うのかと、学会で意見も分かれていたそうです。 かつては、東歌は、東国の人の作った歌、と都から東国に行った人の歌とある。それは、方言が色濃くある歌と、大和とあまり変わらない歌もあるため。とされていた。 そののち、歌謡だったという意見も。 また、方言に地域差が少ないので、これは東国訛りふう歌である、という考え方も。 ともかく、東歌には、大和と変わらないものと、かなり積極的な直裁な恋の歌、生産に関わるもの、という3つが特徴だそうです。 巻14の最初の歌 3348番 上総国の歌 *夏麻引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむさ夜ふけにけり (夏麻(なつそ)引く、は「うな」(海の中の潟)の枕言葉。おそくなったので、ともかく船は留めましょう) 千葉には海上郡海上町(かいじょうぐんうなかみまち)という町があり、ここの歌だと思っていましたが、特定はされてないみたい。 3349番 下総の国の歌 *葛飾の真間の浦みを漕ぐ船の船人騒く浪立つらしも (船人が声をかけあうようになった、沖では浪が立つようになったらしい) 3350番 常陸の国の歌 *筑波嶺の新桑繭の衣はあれど君が御衣しあやに着欲しも (私は、すごく良い絹の着物を着ているけど、あなたの着ている着物が無性に欲しいのです) 昔、愛し合った男女は肌着を交換する週間があったのでそうです。これは女性からの求愛のうた) 3351番 常陸の国の歌 *筑波嶺に雪かも降らる否をかも愛しい児ろが布乾さるかも (筑波山に雪が降ったのかなあ、いやそうではない、愛しいあの子が布を晒しているのだろう) これには、作者が見ているのは何?の論争があり、 雪を見て布を晒す姿を想像、と、晒した布を見て雪を想像、とあるそうです。上野誠先生は、布を干しているのをみて、、、の労働の姿と捉えるそうです。 3352番 信濃の国の歌 *信濃なる須賀の荒れ野にほととぎす鳴く声きけば時すぎにけり (ほととぎすが鳴く声を聞けば、、、の解釈がいろいろあり ・待ち人来ない ・農業(種まきとか)の時期を過ぎてしまった ・ほととぎすの声に「時すぎ」をかけた 巻14の巻頭の歌5首で、上総、下総の歌は都の歌と変わらない、常陸の歌は東歌らしい、信濃の歌は都の人の作らしい。 次に、当時の風習の分かる歌。 3371番 相模の国の歌 *足柄の御坂かしこみくもり夜の吾が下延へを言出つるかも (足柄山の峠越えが余りに怖くて、人に教えてはいけない思っていた恋人の名前を言ってしまったよ!) 昔は、危険な峠越えをする時に、地の神様にお供え物をする風習があったが、それがない場合、自分の大切な秘密を神に教えて、それを供物とする風習があった。 当時、女性は自分の名前を恋人以外には明かさなかったのだが、その大事な名前を神への供物にしてしまった、なにしろそれほど怖い足柄峠越えだったんだよ~) 3560番 *真金吹く丹生(にふ)の真朱(まそほ)の色に出て言はなくのみぞ吾が恋ふらくは (金の精錬に使う硫化水銀を「にふ」といってその朱色は類を見ないほどの朱色だった、 そのはっきりとした赤い色のようには、はっきりと言わないだけですよ、私が激しくあなたを思っていることは) 万葉の時代に金の精錬に硫化水銀を使っていたなんて、、、、それを歌にするなんて、すごい技術系の男子がいたんですね~! 素敵! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.09.04 14:08:51
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