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第7官界彷徨

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2012.06.25
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 クマツヅラ科のビジョザクラです。
 造成地に群れて咲いていたのを一本保護。野草にしてはきれいだなあと思って牧野富太郎で調べたら、南米から来たみたい。造成地は家が建ってしまったので、保護出来て良かったです!
  
 昨日の大河ドラマ、少年の頼朝がけっこう頼もしくて、母の由良さまの教えをしっかり受け止めて、いい子ですね~!
 由良さま亡きあと、常磐さまは義朝から精神的自立するみたい。 
 期待していた重盛の出番が少なかったのが残念。信西は私利私欲だけの人じゃなかったのが分かって良かった♪

 奥山景布子さんの「源平六花撰」によれば、常磐御前はこれから清盛の思い人になり、その後大蔵卿という公家に嫁ぐのね。美人は得!

 来週は、清盛が熊野詣に行っている間に、義朝が信西を襲撃するのです。

 さて、平家物語の続きです。

「卒塔婆流し」
 康頼が流した卒塔婆の一本が、厳島神社の前の渚に流れ着き、それを西国修行に出ていた康頼の縁者の僧が拾います。

 「薩摩がた沖の小島にわれありと」と読めます。
 都に持ち帰り、康頼の老母や妻子に見せます。それを聞いた法皇は、それを見て
「あな無惨、この者どもが命の未だ生きてあるにこそ」と涙を流したのです。

 この卒塔婆は、重盛から清盛に伝えられ、清盛は、人麻呂や赤人の頃からの歌の力を感じるのでした。

「蘇武」
 ここで、中国の逸話との比較が入ります。
 ♪昔もかく験ありけるにや。古へ漢王胡国を攻め給ひし時♪

 この時に、雁のつばさに文をつけて漢へ送ったら届いた、、という故事があり、通信文を「雁書」という語源だそうよ!

♪漢家の蘇武は、書を雁のつばさにつけて旧里へ送り、本朝の康頼は、波の便りに歌を故郷へ伝ふ。かれは一筆のすさみ、これは二首の歌。彼は上代、これは末代、胡国喜界が島、堺を隔てて、世はかはれども、風情は同じ風情、有り難かりし事どもなり♪

 次に、巻の三
「赦文=ゆるしぶみ」
 
 当時の貴族は、後の人に知らせるために、こまかく日記をつけていたそうです。巻三も、そのイメージで、日付から入ります。

 治承2年正月1日、高倉天皇が院の御所を訪ねます。
 法皇は、成親卿以下周辺の人々がいなくなってしまったので、物憂いお気持ち。
 7日には東の方角に彗星が出現して、18日には光を増してきます。

 そんな折り、清盛の娘の中宮徳子が病気になり、平癒祈願の読経その他手を尽くしたものの効果が無く、結局は懐妊と分かります。
 天皇は18歳、中宮は22歳で、未だに皇子は生まれていないのです。

 もし皇子の誕生ならば、、、と平家の人々は勇んで喜びます。

 6月1日、着帯の儀が行われましたが、中宮は月が重なるにつれて体調が思わしくなく、その上、多くの物の怪にも取り憑かれているようなのです。

 よりましの術に掛けてみれば、讃岐の院の御霊、悪左府の怨霊、成親の死霊、西光の悪霊、喜界が島の流人の生き霊など。

 これらの霊をなだめるために、讃岐の院を崇徳天皇にするなどを、します。

 教盛は、兄の清盛がさまざまな処置をすることに対して、生きている喜界が島の成経をなだめた方がいいと、重盛と相談します。
 重盛がそのことを清盛に言えば、清盛はいつになくその言葉を受入れるのでした。

 今週はこのくらいまででした。
  






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最終更新日  2012.06.25 11:05:04
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