ホテルメトロポリタン盛岡の前から私を乗せたタクシーの運転手さんの最後の試練(笑)
わたし:「ロシアンルーレットの盛岡正食普及会の前で降ろしてください。あとは歩きます。」
運転手さん:「ロ、ロシアンルーレットぉ!?盛岡セイショクぅ???」
わたし:「あ、間違えました、ロシアビスケットでした・・・」
運転手さん:「どちらにしてもワカリマセン、住所を教えてもらえますか・・・」
捕虫網を持った少年が、時が沁み込んだ盛岡正食普及会の土蔵の前を通り過ぎて行きます。
そういえば、近ごろ思い詰めた目をして捕虫網を持った少年をとんと見かけなくなりました。
自然食というのかなぁ、地元の食材や出自のはっきりした食材がぎっしり詰まったお店です。
その時々に提供できる食材を手書きした紙が、
入り口の引き戸のゆらゆらしたガラスに貼られていました。
岩手産の小麦粉を使いお店の奥で焼かれた「ロシアビスケット」、
堅く噛みごたえのある日持ちもするビスケットです。
棟続きの土蔵は、ギャラリーと「一茶庵」という喫茶店になっていました。
紺屋町にある「釜定」の前を風のように駆け抜けていく少女。
南部鉄器のお店「釜定」の開け放した扉から、風鈴をやりすごし暖簾の向こうまで吹き抜ける風。
あら、今になって思えば南部鉄の風鈴もひとつ欲しかったなぁ(笑)
現代の生活様式にも馴染む南部鉄器たちが、入って左手の畳の上に並んでいます。
等間隔に並ぶ栓抜きが1個抜けてるのは、私が家に連れてきてしまったから。
お値段も840円とお手頃でした。
かつての奥州街道沿いでもあり栄えたこの辺りには、時代劇のような建物が残っています。
「ござ九・森九商店」も江戸時代後期に建てられたそうです。
十字路の角に建っている木造の望楼が目を引く「紺屋町番屋」は、
今も「盛岡消防団第五分団」の番屋として現役だとか。
町の隅っこの草むらには、小さな花が咲いていました。
ちょっと曲がって神明町の「長沢屋」で、お土産用に「黄精飴」を一箱。
漢方で胃腸などにいいといわれる「黄精」というユリの根から作った煎汁を加えて作った求肥で、
甘さ控えめで数日たっても柔らかく、家族みんなに喜ばれました。
店内に掲げた風格ある看板は、桃太郎などお伽噺を分かりやすく書き表した巌谷小波の父、
貴族院議員で書家でもあった巌谷一六によるものだとか・・・ ちょっと曖昧なのは・・・
応対してくれた青年があまりに素敵で、説明をうわの空で聞いていたから(笑)
(錯覚か見間違いかもしれないけど、岩手にはかっこいい青年がた~くさんおりました)
明治26年創業の「関口菓子舗」は手作りの駄菓子屋さん。
明るい店内は、ちょっと懐かしく、かなり美味しそうな御菓子でいっぱいです。
色とりどりの「焼酎糖」は、口に含むとハラハラと溶け、甘い焼酎蜜が流れ出す、
とっても繊細なボンボンです。 これも友人知人に大好評でした。
年に一度「さっぽろ東急百貨店」へ催事で出店するそうなので、買いに行かねばっ!
帰り際に関口屋の奥さまが「これ、よかったらホテルで食べて下さい」と手渡してくれた紙袋、
「もりおか暖簾の会」のスタンプも味わい深くて捨てられず大事にとってあります。
もう翌日になろうという時間に飲み屋さんでふと思い出し「あれ?これどうしよう」と
バッグから取り出し紙袋を開けると、3種類のお団子が入っていました。
その時偶然となりで飲んでいた方が、ただの酔っ払いのようで、ただの酔っ払いではなく、
関口屋さんが渡してくれたお団子を一目見るなり、深~いお話しをしてくれました。
「これね、あなたが札幌の方だと知って食べてほしくて渡したんだと思いますよ。
盛岡では昔からあるお団子ですが、あなたが札幌で食べてるお団子とは全く違うと思います。
お茶餅ってご存知ですか?ぜひ一口ずつでも食べてみて下さい」と。
左から、醤油だんごなんだけどみたらしじゃない!甘くない!生醤油味のおだんご。
真ん中は、こし餡ではなく、おはぎのようにつぶし餡でくるまれたおだんご。
右が持ち歩いてちょっと崩れちゃったけど「お茶餅」、でも緑色じゃありません。
「うちわ餅」→「お茶餅」となったそうで、平たいお団子にクルミ醤油がからんでいました。
ただの酔っ払いのようで、ただの酔っ払いではない(かもしれない)方に会わなかったら、
このお団子を渡してくれた意味に気づかずに、忘れちゃってたかもしれない。
真夜中に日本酒といっしょにいただいた岩手のお団子は、
いい人たちとすれ違えて幸せだなぁと、しみじみ思える味がしました。