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カテゴリ:政治
久間元防衛大臣の原爆投下に対する「しょうがない」発言はマスコミ、平和運動家からの激しいパッシングに会いましたが、敗戦国日本が「勝てば官軍」である戦勝国アメリカの不条理を受け入れるためにはそう思わざるを得ませんでした。
久間氏の発言はアメリカが対ソ連戦略のために原爆を投下した結果、ソ連から侵略を受けることなく敗戦を迎えられたから、日本が南北に分割されることはなかったというものです。団塊の世代までには常識的な歴史認識だと思います。 「しょうがない」発言には敗戦国の悲哀が感じられましたが、久間パッシングは敗戦の事実を抜きにした道徳論、倫理観です。最大の戦争犯罪は負ける戦争を始めたことだそうですから、原爆の責任も一義的には当時の指導者にあります。 イギリスの哲学者、A・C・グレインはイギリスがヨーロッパで行った地域爆撃、無差別爆撃、絨毯爆撃を戦争犯罪である主張しています。ヨーロッパではアメリカ軍の石油施設、インフラなどへの精密爆撃の方がドイツを疲弊させたそうです。 地域爆撃は都市住民を無差別に殺戮しましたが、軍事上の成果はあまり上がらなかったそうです。グレインは戦争の目的がたとえ正義に基づくものであれ、民間人の殺戮を合理化できないと主張しています。明らかな戦争犯罪だからです。 彼はアメリカ軍による東京大空襲、都市に対する絨毯爆撃、原爆投下も同列に論じています。地域爆撃が勝利を得るための必要不可欠な戦術、戦略ではなく、むしろ精密爆撃の方がより確実で大きな戦果を得られたと主張しています。 原爆も都市中心部に照準を会わせたのは無差別殺人であり、他の手段でも同等の効果を得られたと主張しています。たとえば原爆の威力を示すためだけならば、都市部から離れた場所、海上にでも投下すれば効果を示すことはできたはずです。 しかし、原爆は2発も投下されました。日本人からすれば人体実験にしか過ぎないのですが、敗戦国の身では沈黙せざるを得ませんでした。戦勝国が敗戦国を裁くのですから、戦勝国の戦争犯罪は免責、罪に問われないのが当たり前です。 敗戦国の人間は不条理を感じつつも自らの犯した戦争犯罪を考えれば、不条理を合理化する論理を受け入れ「しょうがない」と自嘲せざるをえません。日本がドイツ、朝鮮半島のように南北に分断されなかったことを感謝したからです。 日本、ドイツでは言論の自由がありませんでしたが、イギリスでは地域爆撃に反対する運動が宗教界、議員を巻き込んで起こったようです。ドイツ軍の無差別爆撃を受けた住民の方が、受けていない住民よりも地域爆撃に反対したようです。 都市が破壊される悲劇に遭遇した住民は復讐よりも悲劇が繰り返されないように願いましたが、国民は復讐を願ったようです。軍人は復讐の怨念からかドイツを破壊しつくすことを望んだようですから、イギリスの地域爆撃は戦争犯罪です。 それと同じ論理を適用すればアメリカ軍のイラクにおける軍事行動には戦争犯罪に問われるものも少なくないでしょうが、テロが想定されていない時代の法規であるのも事実です。テロに対する法的、道徳的、倫理的な積み重ねが必要です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007/07/09 09:52:41 PM
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