朝、私は、サンフランシスコ(以下「SFO」と略す)に到着した。到着したが、今回、私は、アメリカには用がない。そのまま、1時間半後のメキシコ行きに乗り継ぎのだ。だから気分はアミーゴ!4日前に、すでにヤフオクで300円で「アミーゴ、地球の迷い方」を落札し、メール宅急便で送ってもらい、急いで、1日でいろいろチェックし、ネットでメキシコ関係を調べ上げ、ノートにいくつか、危ない行く場所や、夜の盛り場情報や、危ないもの販売事務所などいろいろチェックをばしており、すでに、気分と実態もろともアミーゴなのであった。
しかしである、現在、アメリカでは、トランジットであろうとも、乗り継ぎであろうとも(あ、意味一緒だった)いったん、アメリカに入国しないといけない決まりになっているのである。そんな訳で、神経質になっているアメリカイミグレーションは指紋を採ったり写真を撮ったりして、大忙しで、長蛇の列なのである。飛行機も順調に30分ぐらいは遅れて到着なのである。
そんな訳で、いらいらしながら行列に並ぶのである。並んでいる間にも、一向に列は進まないのである。比較的日本人は早く進みそうなものであるが、その前の便の働かれそうな国から来た飛行機を降りた列が、嬉々として進まないアミーゴ状態なのである。まだ1時間もあるさと、余裕かましまくりプープーのエグゼクテイィブな私も、多少、動揺を隠しきれなくなってきているのであった。すでに、昨日にして、1日延長してもらっているぐらいである。日本から到着した機内から、全員ごぼう抜きしてきた私さえも、すでに、入国を果たしたときは、非常にやばい状態であった。
アメリカは、出国はスタンプ押さず、セキュリティは厳しいだけであるが、SFOもなかなか広く、どこじゃあここじゃあ、走れなんとか言っている間に、すぐにセキュリティを抜け、アミーゴ行きの搭乗口に到着したのである。
そこには、同様に、呆然としているメキシコ人らしき老夫婦と、アメリカ人レズカップルが閉まったゲートで相変わらず呆然としていた。私も、急いで呆然とした。
しかし、何時間も呆然としている訳にはいかず、早速、明日のメヒコ行きを予約しに行こうと折り返し、カウンターに直行すると、満席オーバーブッキング、明後日もオーバーブッキング!
明日、また空港で空席待ちしてもいいけど、空席待ちが、えーっと20人ね・・・と言われる。
そんな訳で、アミーゴ紀行は、幻と化し、気を取り直して、アメリカ、サンフランシスコ紀行となり、アメリカナイズされてしまったのであった。
すでに、時間も、入国を果たしてから4時間が過ぎ、我、未だ、山麓にありいや、空港にあり状態であった。
二〇〇七年夏
メキシコ行き失敗
メキシコ行き失2敗
サンフランシス1コ
サンフランシスコ2
サンフランシスコ3
サンフランシスコ4
サンフランシスコ→成田→バンコク
矯正博物館
バンコク原点序章1
バンコク原点序章2
歓楽街にて コンドムレストラン
クルンテープにて
1985年のロンリープラネット
1987年バンコクから南下