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2013.09.05
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カテゴリ:戦争と平和
「風立ちぬ」宮崎駿監督の反日妄想を嗤う
今年も「護憲村」の夏祭りは大盛況だった。~この時期、護憲村の村民たちの耳は「軍靴の足音が聞こえる」という正体不明の奇病に冒される。これが祭囃子だ。ムラの広報係である朝日、毎日新聞など各メディアは、この時期、こぞって社説、特報という回覧板でアジテーションを続ける。そのご高説は、「我こそ平和の善導者」、さも「煩悶する青年」と言わんばかりの自己陶酔感に満ち満ちたもの。それはもはや報道ではなく・配達してくれるビラ・の領域である。「平和を希求する」ことの尊さも存在する半面、「報道」を逸脱した冗長な演説記事の「痛々しさ」について彼らは全く無自覚だ。
祭りには、メディアだけではなくて芸能人、アーティストという属性の人々も櫓に立って音頭取りをすることもある。そして今年の夏祭りのゲストには、アニメ業界の大御所、スタジオジブリのアニメーション作家、宮崎駿氏が音頭に加わり活況を呈した印象だ。
先の参院選も終盤の頃、護憲派を自負する社民党、共産党、各諸派の間で「宮崎さんが護憲を訴える記事を出した」とこんな話題が巻き起こった。スタジオジブリが発行している小冊子『熱風』(7月号)の「特集 憲法改正」に宮崎氏自ら「憲法を変えるなどもってのほか」と題する記事を執筆し、それが護憲村の住民達の耳目を引きつけたのだ。
余談だが、『熱風』はアニメ制作会社の機関誌としてはしばし「専門外」の分野に口を挟むことがある。同誌11年8月号で「スタジオジブリは原発ぬきの電気で映画をつくりたい」という特集を組んだ。当時、スタジオジブリの社屋にはタイトルと同じ文言の横断幕が掲げられて、JR中央線からも眺めることができた。
どうも横断幕の意図がよく分からない。福島原発事故を受けての原発批判なのだろうが、それ以前、福島原発が稼働していた頃、同社も原発の電力で映画を制作していたはず。では原発の電力にまみれた過去作品はいっそ放棄すべきではないか。原発が稼働した場合、もう映画制作はしないという意味か。(中略)
宮崎氏の記事が注目された理由として、2つの背景が考えられる。1つはその頃、参院選の争点として九六条改正など憲法の論議が盛んだったことだ。祭りに参加した“9条真理教徒”たちからすれば「あの宮崎駿さんも護憲派だ」ということで歓喜したことであろう。そしてもう1つ、宮崎氏が監督を務めた『風立ちぬ』が同時期に全国公開された点も見逃せない。本作は、零式艦上戦闘機いわゆる「ゼロ戦」の開発者である航空技術者、堀越二郎の活躍を描いたものだ。宮崎作品の特徴として飛行艇や飛行機などが頻出する。とにかく「飛ぶ」ことが重要なエッセンスだ。だから堀越二郎には強い思い入れがあったに違いない。
もし宮崎氏が記事で護憲、平和と踊っているだけならば祭りの一風景で済んだ話だった。しかし同時にゼロ戦の開発者である堀越を描いたことで9条真理教徒の反応は複雑になった。つまり『風立ちぬ』でゼロ戦開発者を描くことが軍国賛美であると批判する声も上がったのだ。また予想通りの反応だが、反日の態度を取り続ける韓国では『風立ちぬ』が「戦争美化」の「右翼映画」だとして、同国内の公開中止を求める声も強まった。
こうした言いがかりも含め一連の反応を検証すると「宮崎駿」という個人、そして護憲派や文化人という人々の偽善性と胡散臭さを感じざるを得ないのだ。

体験なき者の横暴
宮崎氏の記事「憲法を変えるなどもってのほか」は“いかにも”な内容だ。というよりも護憲派なる人々の主張パターンを踏襲したものに過ぎない。それは、こんな書き出しからはじまる。
「子どもの頃は『本当に愚かな戦争をした』という実感がありました。実際、日本軍が中国大陸でひどいことをしたというのを自慢げに話す大人がいて、そういう話を間接的にではあっても何度も聞きました。同時に空襲でどれほどのひどいことになったかというのも聞きました。伝聞も含め、いろいろなことを耳にしましたから、馬鹿なことをやった国に生まれてしまったと思って、本当に日本が嫌いになりました」
なるほど随分、早熟で意識の高い少年だったらしい。ちなみに宮崎氏は1941年生まれで戦時中生まれながら直接的な記憶を知らない「プレ団塊の世代」に属する人だ。だからこの言通り、戦争の記憶というのも、誇張された伝聞が大きく占める。彼の父親は親族と一緒に栃木県で「宮崎航空機製作所」を経営していた。すなわち軍需産業である。ゆえに戦後、宮崎少年は父親を責めたという。
「そんな親父が戦争について何と言ったと思いますか。『スターリンは日本の人民には罪はないと言った』それでおしまいです。僕は『親父にも戦争責任があるはずだ』と言って、喧嘩しましたけど、親父はそんなものを背負う気は全然なかったようです」(『熱風』)
なんだろうか? 父親の背広からキャバレーのマッチが出てきて「父さんは不潔だ」と叱責する高度成長期辺りの少年の反抗期。そんな風景が伝わってくる。こんな童心を今に留めているからこそ数々の名作を生み出せるのかもしれないが、どうもこの種の人々の特有の青臭さが鼻につく。それは「体験なき者の横暴」である。

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興味深いといっても、言うまでもなく、批判の内容そのものではありません。一読して分かるように、内容自体はまったく低レベル。いかにも産経クオリティーです。
私が興味深いと思ったのは、産経が、方や「主張」欄(社説)※では宮崎駿を持ち上げ、方や「月刊正論」では酷評する、その正反対の評価を、同じオピニオンコーナーに共存させてしまう感性です。

※9月3日付「主張」は
宮崎駿監督の引退 発信力を担う若手よ続け
アニメーション映画の宮崎駿(はやお)監督が引退するという。この世界で72歳の引退は早すぎる。
世界を喜ばせてきた巨匠の退陣は残念でならないが、日本の強力な発信力の担い手として、宮崎氏の後を継ぐ若手の台頭を期待したい。(以下略)


と書いています。
「主張」というのは社としての意見であり、、月刊正論の寄稿は、その執筆者の意見ですから、今のところは、産経新聞としての評価は社説のとおりなのでしょうが、数年もしたらこの寄稿のほうが産経新聞の社論に化けてしまうかもしれないな、という気がします。

内容に関しては、「いかにもネトウヨ」的な文面で、同レベルのネトウヨの意見がたくさんある。その意味では目新しさは皆無。改めて、産経はやっぱりネトウヨ機関紙なんだなと感じるばかりです。

ムラの広報係である朝日、毎日新聞など各メディアは、この時期、こぞって社説、特報という回覧板でアジテーションを続ける。~それはもはや報道ではなく・配達してくれるビラ・の領域である。

というのは、どうも朝日、毎日新聞という単語を産経新聞に置き換えたほうが、よほど実態に即しているように思えます。筆致そのものが、朝日、毎日は控えめで、産経のほうがはるかにアジビラ的的です。そのこと自体は(主張の内容の是非は別にして)、必ずしも悪くはないと思いますけど。

福島原発事故を受けての原発批判なのだろうが、それ以前、福島原発が稼働していた頃、同社も原発の電力で映画を制作していたはず。では原発の電力にまみれた過去作品はいっそ放棄すべきではないか。

原発に反対するなら電気を使うな、という類の、反原発派に対する質の悪い批判の変形バージョンです。電気を使っていると発電方法に対する批判ができない、というなら、中国製の製品を使いながら中国批判をするな、という言い方も可能です。

「1941年生まれで戦時中生まれながら直接的な記憶を知らないプレ団塊の世代」ともありますが、明らかにウソです。宮崎駿は直接的に戦争の記憶を持っています。彼は1945年7月、宇都宮で空襲に遭遇したときのことを、何かの雑誌のインタビューで語っています。ネットで検索すると、その話が結構出てきます。叔父のトラックで避難したこと、女性が「乗せてください」と追いすがってきたとき、親族が無視して、それに対して何も言えなかったことが負い目になったこと、など。

1945年7月の時点で宮崎は4歳半であり、その年齢なら、大人まで残る記憶は、当然あるでしょう。まして、空襲という異常な体験をすれば、鮮烈な記憶が残るのは当然。私自身も、おおむね3歳頃からの記憶はあります。したがって、「体験なき者の横暴」などという批判は、まったく事実無根と言うしかないでしょう。

宮崎駿が、軍需産業の華麗なる経営者だった父親について否定的な書き方をすることも、この筆者はいたく気に入らないようです。宮崎は、父親との相克をいろいろなところで語っていますけど、私自身の読んだ印象では、おそらく宮崎と父親の関係は、最終的にはそんなに悪くなかったんじゃないか、という気がします。もちろん、気がするだけで、実際のところはどうなのかは未確認ですけれど。

私の知る範囲でいえば、親子が本当に険悪な関係だと、親のこと、子のことをほとんど口にしない、わざわざ書かない。もし書いたとしても、もっと敵意を感じさせる文章になります。宮崎が語る父親像は、意見の対立はあったんだろうけどあまり敵意の存在を感じさせません。(聞き取った人の編集の結果、ということも考えられますが)
多分、対立しつつも親しい関係、あるいは一時は対立しつつも、最終的には修復された関係ではなかったか、と思います。

人間同士の関係というのは、そうそう単純ではありません。「親子強大仲良く」というのは人類普遍の願望でしょうが、現実は厳しい。源平の昔から始まって、親子の相克、対立、仲違いなんてものは、いくらでも例がある。というより、相克のない親子関係なんて、存在しないんじゃないでしょうか。かといって、対立するだけではない。反発しつつ親しい、対立したり親しくなったり、人間関係とは、そういった重層的で一筋縄ではいかないものでしょう。

父親について否定的な面を書いただけで、「どうもこの種の人々の特有の青臭さが鼻につく。それは「体験なき者の横暴」である。」などと断じるのは、単純な決めつけで、それこそ「青臭さが鼻につき」ます。

で、この先は「月刊正論で」というので、ササッと立ち読みしてきましたが、「元軍事マニアという隠したい過去」なんて表現もありました。宮崎が反戦的であり、一方で軍事マニアでもあることは、本人自身あるいはジブリの製作者サイドが頻繁に言っていることであり、隠したいと思っているようには見えません。

※余談ですが、「風立ちぬ」に関して宮崎駿(あるいはプロデューサーの鈴木敏夫)は、反戦派でありながら戦闘機好きという自己矛盾について度々言及しています。私は「風立ちぬ」はいい作品だと思っていますが、前述の矛盾に関しては、すっきりと納得できる回答は提示していないようにも感じます。少なくとも、この映画から反戦的なメッセージは、私には読み取れませんでした。だからと言って戦争肯定、戦争賛美の作品でなし、私にとって好きな作品であることに変わりはないですけど。

そうそう、宮崎駿が高校生のときに、「世界の艦船」という雑誌に投稿したことがあるそうで、検索したところ、雑誌のコピーがアップされているので、これは間違いのない情報でしょう。これに関してだけは、なかなか面白い情報(トリビア的な)を知ることができたという意味で、この文章に感謝します。評価できる点は、そのことだけかな。





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最終更新日  2013.09.06 01:41:11
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