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2014.06.09
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カテゴリ:食品
一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第904話 「七草粥の謎」

 餅より団子の方が好きなこともあって、正月だからといって特に餅を食べたいとも(私は)思わないのですが、世間一般では”なんとなく”ではあってもお正月になると”お雑煮”で餅を食べ、”鏡餅”を飾っている家が珍しく無いことは御存知の通り。

 正月休みの食事の用意がめんどくさいから米を炊く代わりに餅を年末に用意し、オカズとして日持ちもするおせち料理を大晦日に仕上げておく光景もかっては日本のあちこちで見られたのですが、こちらは業者がおせち料理を安価に販売するようになればなるほど”買えばいいじゃん?”ということで利用者が増加して自作派が減少していき、その傾向はネット通販などで手抜きや偽装のおせち料理が発送されたり、幾つかの有名ホテルでさえ出していた料理の食材に偽装やだましが横行していることが露見して社会問題になった後も衰えていなかったりします。

 まあ、暮れの忙しい時期に一から食材を購入して自前でおせち料理を用意する手間隙が無くなって久しいというだけでなく、”女性だけが料理をするのはオカシイ云々”と言い出した勢力がジェンダーフリーの旗印の下に既存の文化や社会慣習をぶちこわした結果として、料理好きの男子と料理の出来ない女子の増加を招き、料理、洗濯、掃除、・・・、といった日常の家事が同世代の女性より上手な男性は”どうせ結婚しても自分がやる破目に陥るのな結婚するメリットらしいメリットって無いじゃん?”と考え始め、”売っているものの方が、私が作るより綺麗で美味しく材料も無駄にならないんだから買えばいいじゃん?”と料理ができない女性が主張するようになったことも主因の一つだろうなあと思わないでもありません(黒い笑)。

 料理を作らないのではなく作れない女性の増加という話では、1970年代末頃から”料理をしたことがないからできない”という女の子の増加が話題になっていて、実際に”台所洗剤を使って米を洗ってから炊こうとする”阿呆が増加していったのもこの頃からの話ですが、興味深いのは(先祖代々の)富裕層ほど御祖母さんやお母さんが小学校に入学するより前の小さい頃から娘さんに出来ることから台所仕事を仕込んでいる割合が高い傾向があり、”良い男を捕まえようと思えば、学校の成績を上げるより料理の腕を上げる方が確実な近道”とでもいった経験則が知られているのかもしれません。

 この子供の仕込みを公教育にだけ頼らない傾向と、家訓的な教育を施す割合が高い傾向は旧家に限らず富裕層ほど高いようで、”料理なんか覚える暇があったら勉強して成績を上げなさい”と言った考え方が中長期的には貧困層へと堕ちていきやすい考え方なのかもしれませんが、日常の食事の準備に関しては料理の腕前や生来の味覚などが云々よりも、パターン化を徹底することにも繋がる”慣れ”や”習慣性”の方が重要であることを暗示しているとも言えます。

 また、”家人や良人の好みに応じて食材や味付けを決める”とか”失敗したときのリカバリーの仕方”といった料理学校では教われないような実用的な知識や技が世代を超えて伝授されることの価値は大きく、調理器具など”道具”や多様化する”食材”の部分が時代とともに変化していったとしても、そういった”知恵”の部分は縄文の頃から連綿と継承されているところがあるのではないかとも思います。

 もっとも、少子化が深刻になり、未婚率も高くなっている現代社会で男性が料理をマスターする必要が無いと主張しているわけではなく、男性の場合は”料理は出来ても異性の前ではできないふりをすると同時に細かい批評をしない”知恵が必要な時代になって久しいことに説明は不要だと思いますが、決定的に変わってきたのは”男子厨房に入らず”という言葉の意味に”旦那に食事を作らせることを恥ずかしいことと思うベシ”とでもいった女性の側の文化の崩壊というか継承の断絶があることではないかと。

 その辺り、結婚した男性で結婚した後で後悔する最大のポイントとして”奥さんの料理下手”というか”食生活が独身時代より悪化した”といった点をあげる人が圧倒的に多いだけに、”意中の男性を捕まえ続けるには胃袋を捕まえるベシ!”という主張に一定の整合性があるようです。

 実話で笑ったことがあるのが、見るからに傲慢な合理性が顔から滲み出ている女性が、押しに弱そうな線の細い男性をゲットし早々に専業主婦に納まって一戸建てを30年ローンで手に入れた事例で、若くして一戸建てを入手したところまでは良かったものの、旦那の側には”なぜ毎日、毎日、冷凍食品しか(昼の弁当を含む)食卓に出てこないのか?”という不満が累積していたようで、その疑問を詰問したところ、”冷凍食品をまとめ買いした方が生鮮食品を一から料理するより安価で無駄が無いから”と真顔で奥さんが答えたため、”これから後、ローンを完済する30年近くの間、延々とお前は俺に冷凍食品だけ食べさせる気か?”と更に問い詰めることになり、それに対して奥さんの側が平然と”その通り。”と真顔で返答した事例かなと。

 その返答に旦那が(さすがに)激怒してしまい、かといって自分の主張が合理的で正しいと思っている嫁の側も譲らず、紆余曲折の後に、家を処分して離婚するところまで話が進んだことは言うまでもありますまい。

 時代の変化ということでは、日本の裁判所の判例で遺産相続などで実子であることのメリットが婚外子と大差が無いとなると、料理も下手で掃除や洗濯も嫌いだからとろくにせず、それでいて働いてガンガン稼いでいるわけでもない女性と結婚生活を続けることの男性側のメリットって何?となるのは必定で、家族形成のメリットの一つとされてきた老後の介護問題にしても、既に配偶者がいて複数の(経済的に自立している)実子がいても最期は病院や介護施設で迎える人の割合が80%前後になっていることを考えると、家庭を形成するメリットがあるのは一部の資産と収入に恵まれた富裕層と逆に知的財産を含めて資産らしい資産が無い階層に限られる時代になってきているのかもしれません。

 このピンとキリの階層に共通しているのが”同程度の資産規模を指標とした集団の形成”で、富裕層に関しては”金持ちは金持ちとしか結婚しない(させない)”傾向が昔からありますが、資産がほとんど無いのに家庭を形成している階層に関しては一部のヤンキー集団などが分かりやすいですが、群れることで共有できる(知的財産を含めた)資産や情報を増やすことで生き残り率を高める選択をしているということになるのかもしれません。

 その意味で、かっての日本で中間層を形成していた階層が税などの社会負担を押し付けられて個人資産を削られ続けているにも関わらず、生活が破綻した際などに生活保護などのセーフティネットの利用からは弾かれやすく、既に生活保護世帯が医療費の無償化でばんばん病院を利用し病院側もとりっぱぐれの無い相手として歓迎している一方で、納税に応じている世帯が”治療費が払えない”ことから病院離れを起こしドラッグストアなどの売薬で誤魔化す傾向が出始めていることは比較的知られた話になります。

 実際、医療関係者が”健康診断などで早期発見を!”と呼びかけても、”で、何らかの病気が発見されたら無料で治療してくれたり、その治療に関わっている間の生活費は誰が負担してくれるのか?”という声が増加していますし、癌治療などが分かりやすいですが”再発リスクや長期化しやすく最先端治療だと保険が利かないものも珍しく無い治療費などを考えれば、痛み止めのモルヒネだけ処方してもらったら、後は自然にまかせて死んでいった方が本人も家族も少なくとも経済面や肉体的な負担といった面などでは幸せな結末を迎えられるのではなかろうか?

 話を戻すと、大晦日から三箇日辺りまでを”御節料理”や”お雑煮”などを軸に過ごす昭和の頃までの日本の風習は、バブルが到来した辺りから急速に廃れ、年末年始は海外を含む観光地で過ごす人が増加し、特にバブル崩壊後は年末年始の帰省ラッシュが緩やかになっていっただけでなく、冠婚葬祭の簡略化(出費を抑える傾向)が時代が下がるほど一つの傾向になっていったことは御存知の通りで、20世紀末あたりに元旦から営業する店が飲食店を含めて出始めるとデパートなどの初売りも前倒し傾向となり、今となっては特に都市部では”元旦初売り”の店舗が珍しくなく、男性の独身者などが正月三箇日の間あたりで開いている飲食店を求めて街を徘徊するか備蓄のインスタント食品の類で食いつなぐ必要に迫られていた年始の光景が昔話になっていったわけです。

 元旦から開いているデパートやスーパー、あるいは食堂などで食品が購入できたり食事ができるとなると、”あれ?なんで昔のように暮れになると大騒ぎしておせち料理を作り置きしてるんだろ??”と考えるようになる人が増加するのは当たり前といえば当たり前で、そもそも論で言えば、冷蔵庫などの保存・保管施設が無い時代に、野菜や肉、魚介類など生鮮食料品を供給する農家や漁家などの大半が一斉に正月休みに入り、商品の入荷が無ければ市も立たず、中卸も小売も店を閉じていただけの話でもあるわけです。

 ただ、人の側は年末年始を理由にして休みたくても、たとえば鶏や乳牛にとっては正月といっても単に365日の内の1日に過ぎないだけに、鶏卵も牛乳も生産され続けているわけですから、市が立つのなら正月でも出荷したい品目を抱えている農家にとっては”正月休み”はあってないようなものですし、品目によっては”(旧正月で祝うとするケースもありましたが)新暦の正月の期間といえども多少なりとも働く”選択をすることはさほど珍しく無い光景ではあったわけです。

 ましてや、大半の店舗が開いているときに一人だけ店を開けていれば、紀伊国屋の蜜柑船の逸話ではありませんが、その間の客の独占ができるわけですし、初売りで特売攻勢を仕掛けて三箇日くらいまでに手持ちの正月予算の大半を吐き出させることに成功すれば、従来のように7日どころか三箇日を過ぎてから初売りを仕掛けても、よほどの価格競争力があるか待望の商品でもなければ、既に大半の客の正月予算は空っぽか底が見える状態になっているだけに何も網にかからなくても不思議では無いわけです(笑)。

 故人曰く”先んずれば人を制す”と。

 もっとも、ここまで正月文化がぐだぐだになってくると、正月過ぎての七草粥(ななくさがゆ)の風習などはもっと昔話の類になって久しく、日常の食事でお粥の類を食することが激減しているだけに、食している世帯にしても”なんとなく習慣で”とか”縁起物なんでしょ?”という程度の認識になっていたりもします。

 そもそも、七草粥の風習っていつごろから始まったの?といった根幹に関わる話は、長くなってまいりましたので、また別の機会に。

 看板に偽りありというあたりも怪しい話の怪しい話たる由縁であることは解説不要でございましょう(大笑)。

初出:一夢庵 怪しい話 第4シリーズ 第904話 (2014/01/02)





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Last updated  2014.06.09 10:46:08
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