エルジィは朝起きるなり、吐き気に襲われトイレへと駆けこんだ。
妊娠9週目がつわりのピークだと医師から言われたが、7週目の今でさえもこんなに辛いのだから、この先どうなるのだろうかと彼女は便器から顔を上げて溜息を吐いた。
「エリザベート、どうしたんだ?」
トイレのドアがノックされ、オットーがドアの隙間から顔を覗かせた。
「何でもないわ、あなた。いつものつわりよ。」
「そう。余り辛いのなら、今日は1日中ベッドで横になった方が良いよ。」
「ありがとう、あなた。」
オットーはエルジィの妊娠を喜び、仕事が一段落したら健診にも付き添いたいと言ってくれるほどだった。
トイレを出たエルジィは何とかキッチンに立って朝食を作ろうとしたが、つわりが酷くて冷蔵庫からトマトを取り出す時にそのにおいを嗅いだだけでもえづいてしまう程だった。
(お母様に、連絡しようかしら・・)
つわりが辛ければ気軽に連絡してくれ、と瑞姫は言っていたが、皇妃として多忙な彼女を自分の我が儘で呼んではいけないと、エルジィは思っていた。
「ミズキ、エルジィの様子を見に行ってくれないか? あの子にとっては初めての妊娠だから、戸惑うことも多いだろうし、それにつわりが辛い時期だと思うし・・」
朝食の席でルドルフがそう言って瑞姫を見ると、彼女は静かに夫の言葉に頷いた。
「そうですね、あなた。オットーさんはお仕事で忙しいし、最近暑くなってきましたから、エルジィの事が心配だわ。」
「わたしもだ。今週末辺りにあいつの所に行ってみるか。」
ルドルフと瑞姫が忙しい公務の合間を縫い、エルジィの自宅を週末に訪ねると、彼女は覚束ない足取りで玄関へと向かい、両親と会った。
「エルジィ、大丈夫か? 少し顔色が悪いぞ?」
「お父様、わざわざいらしてくださったのに、おもてなしできなくてごめんなさい。」
キッチンに入ったエルジィは、両親にコーヒーを淹れようとしたが、コーヒー豆の匂いを嗅いだ途端、トイレへと駆けこんだ。
「エルジィ、そんなに辛いの?」
「ええ。食べ物の匂いを嗅いだだけで吐いてしまうの。こんな調子でお腹の赤ちゃんが育つのか、心配で心配で堪らないの。」
エルジィはそう言ってまだ目立たない下腹を擦った。
「エルジィ、大丈夫よ。わたしも遼太郎達を妊娠した時、つわりが酷かった事があったわ。特に遼太郎の時は、お父様と事情があって離ればなれになっていたから、精神的なストレスが影響していつも吐いてばかりいたのよ。辛い時はわたし達に頼ってもいいのよ。」
「ありがとう、お母様。お忙しいのに・・」
「何を言うんだ、エルジィ。家族であるわたし達にいつでも頼ってくれていいんだぞ?」
ルドルフはエルジィを抱き締めながら言うと、彼女は自分の胸に顔を埋めて泣いた。
彼は何時までも、娘の髪を優しく梳いていた。
「エルジィ、少し落ち着いたみたい。やっぱり1人で心細かったんでしょうね。」
寝室のドアを静かに閉じながら、瑞姫はそう言ってソファに座っているルドルフを見た。
「孫が産まれるのは嬉しい事だが、エルジィにとっては初めての育児になるわけだし、わたし達が助けないとな。」
「そうですね。わたし達が遼太郎達を育てた時に兄様や龍之助さん、お義母様から助けて貰ったように、わたし達がエルジィを助けないといけませんね。祖父母の役目ですものね。」
「祖父母の役目、か・・その言葉を口にすると実感が湧くな。ちょっと寂しいが。」
その日はオットーの帰りが深夜になるというので、瑞姫とルドルフはエルジィの事もあり彼女の家に泊まる事にした。
『お姉様、そんなに悪いの?』
「悪いって言う訳じゃないけれど、妊娠中は色々とあるのよ。解ってあげてね。」
『ええ、解ったわ。』
アイリスとの通話を終え、携帯のフラップを閉じた瑞姫は、寝室のドアを少し開いてベッドで眠るエルジィを見た。
たとえ血が繋がっていなくても、彼女とやがて産まれてくる孫の命を守ると瑞姫は心に誓った。
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