1878(明治11)年4月、東京。
高原鈴は庭の桜を見ていた。
戊辰戦争後、鈴は東京と名を変えた江戸に戻り、実家で静養した。
明治維新から10年。
明治5年には新橋-横浜間に陸蒸気が開通し、街並みも食べるものも西洋文化の影響を受けていた。
年が過ぎ、動乱の幕末の京都がまるで夢のように思えてきた。
だが10年前に日本中は血で染まり、鈴は幾度も修羅場をくぐり抜けていた。
新選組の生き残りとして、鈴は自伝を出版した。
あの頃に生きた生き証人として、真実を語りたいーそういう思いで書いた自伝は、多くの人々の心を打った。
自伝を出版した後、鈴は肺を病んだ。
ここ数年は、布団から起きあがれないほど病状は悪化していた。
鈴は縁側に座り、満開の桜を見ていた。
「綺麗だな・・」
「元気そうだね、高原君。」
裏口から背の高い、紺羅紗の制服を着た警官がそう言って鈴に微笑んだ。
「斎藤先生。」
「今は藤田だよ、高原君。」
斎藤-今は藤田五郎と名乗っている-は、そう言って家に入ってきた。
「体の調子はどうだ?」
「さぁ・・俺にはもう、時間が残されていないかもしれません。」
そう言って鈴は寂しく笑った。
「両親も亡くなって、もう俺1人です。自伝も出版したし、もう心残りはありません。」
「・・そうか・・」
斎藤は鈴の手を握った。
「前に頼まれていたもの、出来たから渡すよ。」
そう言って斎藤はポケットの中からネックレスを出した。
そこには金の髪と、赤い髪が納められていた。
「横浜で作って貰ったけどね・・気に入ればいいんだが・・」
「ありがとうございます。」
鈴はそう言ってヘアジュエリーを受け取った。
「また、来てくださいね。」
「ああ・・」
鈴はネックレスを首に提げた。
あのお守り袋は函館の時に銃で撃たれ、ボロボロになってしまった。
だが英人の遺髪は無事だった。
自分の髪と英人の遺髪を持って、斎藤にヘアジュエリーを作って欲しいと言ったのは数週間前だった。
これがあれば英人といつも一緒にいられる。
鈴は引き出しから簪を取り出した。
それはあの日英人から渡された、桂に初めて貰ったという鳥の簪。
「英人、お前に会いたいよ・・」
そう言って鈴は目を閉じた。
『鈴。』
どこからか、英人の声が聞こえる。
まさか、そんなはずはない。
英人は10年前に死んだはずだ。
『鈴。』
また声がした。
鈴は桜の木を見た。
そこには、京で出会った頃と同じような優しい微笑みを浮かべた英人がいた。
「英人!」
鈴は下駄を履いて英人の元へと駆け寄った。
『鈴、待たせてごめんな。』
英人はそう言って鈴を抱き締めた。
「もう、離さない・・」
鈴は英人の胸の中で目をゆっくりと閉じた。
1878年4月3日。
高原鈴、肺結核にて死去。享年32歳。
永遠の眠りによって、鈴は英人と再会した。
そして、かつての仲間とも。
彼らの絆は、永遠にとぎれることはないだろう。
時の激流に押し流されながら生きた2人の死から百数十年の歳月が経った東京の中心部にあるとある高級ホテルでは、ある政治家の豪華絢爛な生誕を祝う宴が開かれていた。
人々はシャンパンを片手に談笑し、ご婦人がたは美しいドレスで着飾りながら自分の美しさを周りに誇示していた。
そんな招待客の中で、ひっそりと会場の隅に佇む1人の少女がいた。
腰まである長さの金色の髪を結い上げ、華奢な身体をギリシャ神話に登場する女神のような幻想的で美しい蒼いドレスを纏った彼女の藍色の双眸は、憂いに満ちていた。
(俺が何で女装なんか・・いくら兄貴の頼みだからって・・)
少女―兄嫁が急病の為にパーティーに来られなくなったので、急遽代役として兄とともにパーティーに出席する羽目になった少年の名は、正英華凛(まさひでかりん)。
今年の3月に私立の中高一貫校の男子校中等部を卒業し、4月に高等部に入学する15歳である。
日本舞踊・正英流の家元である父親から物ごころついた頃から所作や礼儀作法について厳しく躾けられた華凛は、自然に優雅な立ち居振る舞いを身につけ、周囲からは華奢な身体に女顔という外見もあってか、よく女性と間違われることがあった。
だが本人にとってそれは煩わしいものでしかなく、今こうしてドレスを纏ってパーティーに出席しているだけでも苦痛を感じていた。
(ったく、兄貴何処にいるんだよ・・さっさとこんなところ、出て行こう・・)
溜息を吐きながら兄の姿を探していると、彼は1組のカップルと談笑していた。
「兄貴、探したぞっ!」
「華凛、ここでは“あなた”だろう?乱暴な言葉遣いはやめなさい。」
上品な黒いタキシードにしなやかな肢体を包んだ兄の寿輝は、そう言って弟を窘めた。
「大体、義姉さんが急病で出られなくなったって、おかしいだろ!?やけにドレス選ぶ時乗り気だったし!」
「そういうことは後でな。それよりもお前に紹介したい人がいる。このパーティーの主役の鈴久先生のご子息の、高史さんだ。隣にいらっしゃるのは彼女の奥様である香奈枝さんだ。」
「高史です、初めまして。」
そう言った男の顔を見た途端、華凛の脳裏に1人の少年の姿が浮かんだ。
美しく艶やかな赤毛を持った、翠の瞳をした少年を。
“英人”
屈託のない明るい声で、自分の名を愛おしく呼ぶ声。
だが、そこにいるのは艶やかな黒髪を整髪料で固め、タキシードに身を包んだ美しい青年だ。
(違う・・彼じゃない・・)
「どうかしましたか?」
青年が心配そうに自分の顔を覗きこんだ。
その瞳の美しさは、あの少年と同じ色だった。
どこまでも汚れのない、澄み切った森の緑。
「いいえ、何でもありません・・」
その時初めて、両頬が涙で濡れていることに気がついた。
-完-
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