「どうなさったの?」
「いえ、何でもありません。」
「そう。」
早苗は一瞬訝しげに千尋を見たが、その後同じ華道教室に通っている友人を見つけ、彼女の方へと駆け寄った。
「最近不審者を見かけたという通報がありましたので、各自家の戸締りを確認してください。」
自治会長・前田はそう言うと、千尋達は静かに頷いた。
「今年度の夏祭りですが、毎年会場はすめらぎ園の園庭で行っておりましたが、今年度からは小学校の中庭で行うこととなりました。」
この地域で毎年行われる夏祭りは、すめらぎ園の園庭で行っていたが、事件の影響もあってか、今年から小学校の校庭で行う事に決定した。
ボランティアですめらぎ園でパン教室を開いていた千尋は、子ども達が夏祭りを楽しみにしていることを知っているだけに、前田の言葉を聞いて顔を曇らせた。
「土方さん、どうしましたか?」
「あの、本当に今年からすめらぎ園では夏祭りはやらないのですか?」
「ええ。子ども達には申し訳ないですが・・」
「あらぁ土方さん、あの子達の肩を持つの? 駄目よ、あそこの子達はワケアリな子達ばかりなんだからぁ。」
早苗がすかさず千尋の言葉に噛みつき、わざとらしい溜息を吐きながら彼女を見た。
娘の同級生の母親というだけで、余り彼女とは親しくない千尋だったが、彼女が偏見に満ち満ちている女性だということに薄々気づき始めていた。
金満家の家で生まれ育ち、大企業の社長を夫に持つ彼女は、何かと自分の家柄や夫の地位などを鼻にかけ、友情を示すのは自分と同じクラスの者だけであり、自営業の千尋達はメイドとしか見られていなかった。
「いいえ、そんなつもりで言ったんじゃありません。伊東さんのお宅でも、ワケアリなお子様はいらっしゃるのでは?」
千尋の言葉に、早苗はウッと喉を詰まらせたかと思うと、怒りで顔を赤く染めた。
早苗の長男・義男が散々母親から甘やかされた挙句に問題ばかり起こし、母子ともどもこの地域の鼻つまみ者となっているのは周知の事実であった。
「自治会長、すめらぎ園で夏祭りを開かないまでも、その手伝いを子ども達にさせたり、夏祭りに招待できませんか?」
「それは検討してみましょう。伊東さんのようにワケアリな子達はごく一部だしね。」
前田はすめらぎ園でボランティアとして毎日来ているので、千尋よりも園の子ども達には詳しかったし、早苗のような偏見に満ち満ちた人間ではなかった。
「んまぁ、土方さん、あなたの所為で子ども達に何かあったらあなたが責任を負って下さるのかしら?」
早苗は千尋に半ば八つ当たりのようにそう言うと、彼女を睨みつけた。
「まぁ、何をおっしゃっておられるんです? いくらわたしくし達でも、子ども達の動きを全て把握する事など不可能ですし、何かあったら誰か一人が責任を負うなんて理不尽な事、出来るわけがないでしょう?」
「で、でも・・言いだしっぺはあなたなんだから・・」
「この地域に住まわれている以上、ここで起きた事は皆さんがその責を負うと、お決めになったでしょう?」
悉く己の主張を正論で論破され、早苗は自治会が終わるまで終始不機嫌な顔をしていた。
「土方さん、ちょっといいかしら?」
「ええ・・」
自治会館から出て千尋が自転車に乗ろうとすると、商店街で魚屋を営んでいる吉崎美香が彼女に話しかけてきた。
「何でしょう?」
「さっきの、格好良かったわよ。伊東さんって、いつも金持ち自慢ばかりするから、うんざりしていたところなのよ。」
「そうですか・・」
「望美ちゃんは良い子なんだけどねぇ。伊東さんに似なくて良かったわ~」
「じゃぁ、また明日。」
「うん、明日ね~!」
美香は千尋に手を振りながら、彼女とは逆方向の道を自転車で走っていった。
「土方さん、おはよう!」
「おはようございます、吉崎さん。」
「今日ね良いサバ入ったから、うちに寄ってってね!」
「はい。」
美香は千尋に元気よく手を振ると、ゴミ集積所から去っていった。
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