エルムントはゆっくりと振り向いて懐かしい顔を見た。
「お前は、確か・・」
「俺だよ、俺。マシアンだよ。もう忘れちまったのか?」
そう言って男は人懐こい笑みを浮かべた。
「マシアン・・」
エルムントの脳裡に、幼い頃自分をいじめっ子達から守ってくれた頼もしいガキ大将の姿が浮かんだ。
「もしかして、わたしをいじめっ子から守ってくれた、あのマシアンなのか?」
「おお、そうよ!やっと気が付いてくれたのか、嬉しいぜぇ!」
男―マシアンはそう言うと、エルムントに微笑みながら彼の肩を叩いた。
エルムントは痛みで顔をしかめながら、幼馴染との再会を喜んだ。
「お前、何してんだ?」
「吟遊詩人をしているよ。わたしには歌とリュートを奏でる事しかないからね。放浪の旅を繰り返していたら自分が何処の出身なのか忘れてしまったよ。」
「へぇ、そうか。俺は親父と喧嘩して家飛び出ちまって以来、此処に住んでる。エルムント、再会したのも何かの縁だし、うちに来ねぇか?」
「いいのかい?わたしは別にそんなつもりはないんだけど・・」
「人の好意は素直に受け取るもんだぜ。野宿なんかしたら凍え死ぬって。」
マシアンは上機嫌でエルムントの華奢な肩を抱くと、大通りから少し外れた路地裏へと入った。
「何処へ行くつもりだい?」
「まぁまぁ、俺を信じて付いて来いって。」
マシアンはどんどん路地裏の奥へと進んでゆくので、エルムントは必死に彼の後を追うしかなかった。
やがて彼は、みずぼらしい民家の前で立ち止まった。
「マシアン、どうか・・」
「帰ったぜ。」
マシアンは囁くような声でそう言うと、上着のポケットから何かを取り出し、ドアの隙間にそれを滑らせた。
「マシアン、君は一体・・」
「話はここに入ってからだ。」
エルムントは訳が判らないといった表情を浮かべながら幼馴染を見ていると、ドアが内側から開き、一人の老女が姿を現した。
「よく来たね、お入り。」
老女はにこりと二人の若者に笑いかけると、彼らに家の中へと入るよう手招きした。
「邪魔するぜ、婆さん。」
どうやらマシアンと老女は顔見知りらしく、彼は突然現れた老女に警戒もせずに家の名中へと入って行った。
「どうしたんだい、そこの若いの?入るのかい、入らないのかい?」
老女がじっと澄んだラヴェンダーの瞳でエルムントを見つめた。
「わ、わたしは・・」
「おいエルムント、遠慮しないで入れよ!」
家の中からマシアンの喜びに弾んだ声が聞こえた。
家に入ろうか入らないか戸口でエルムントが迷っていると、急に足元を生温かい風が通り抜けた。
何か嫌な予感がする。
「すいません、わたしはいいです。」
「そうかい。」
老女はエルムントに興味が失せたようで、彼に背を向けるとドアをさっさと閉めて家の中へと入って行った。
中で何が起こっているのかはわからないが、一度中に入れば決してあの家からは出られないだろうと、エルムントは何故かわかったのだ。
彼は時折家を何度も振り向きながら、夜の王都を一人彷徨い始めた。
「ん・・」
朝になり、眩い朝日によって目覚めたエルムントは、ゆっくりとベッドから起き上がった。
あの後、彼は昨夜稼いだ金で宿屋に泊まり、そこで一夜を過ごしたのだった。
ベッドの脇に置いていたリュートを見ると、ちゃんとそこにはリュートが誰にも盗まれずに置いてあった。
実用的で何も装飾が施されていないものだが、エルムントにとってそれは命そのものだった。
(あのお婆さんは一体何者なんだろう?それに、マシアンはあれからどうしたのだろう?)
リュートを爪弾きながら、エルムントは老女と幼馴染のことを思っていた。
一方、昨夜エルムントがマシアンと共に訪ねた民家の中で、マシアンは欠伸をしながら老女が作る朝食に舌鼓を打った。
「婆さんの飯はいつ食っても美味ぇな。」
「おやおや、お世辞が大分上手くなったじゃないか。」
老女はからからと笑いながら焼き立てのパンをバスケットに入れた。
「それにしてもあんたが昨夜連れて来た若いの、名前何ていうんだい?」
「ああ、エルムントっていうんだ、あいつ。俺とあいつ同郷でさ、ある日突然村を出ていっちまった。そんで昨夜再会したってわけよ。」
「へぇ、そうかい。それより彼をあんたのところに引き込まなくていいのかい?ああいう類の者は騙されやすそうだけどねぇ。」
「それがそうでもないらしい。あいつは妙に勘が鋭くてな。あんたが来た事で何かを悟ったみたいだったよ。」
マシアンがそう言って焼き立てのパンに手を伸ばした時、食堂のドアが開いて一人の男が入って来た。
「マシアン君、久しぶりだね。」
腰まである長さの銀髪をなびかせ、黄金色の瞳を光らせながらマシアンを見ている青年は表向きこの家の主である老女の甥ということになっているが、その正体は地下組織“紅の鷲”のリーダー・レオンである。
「御無沙汰しております、レオン様。」
先ほどまで老女に軽口を叩いていたマシアンが椅子から立ち上がって直立不動の姿勢でそう言うと、レオンに向かって敬礼した。
「そんなにかしこまらなくてもいいよ、マシアン。それよりも昨夜は珍客が来たそうだね?」
「は、はい。俺の幼馴染でして、昨夜はここに泊まらせようと思ったのですが、何か勘付いて奴は何処かへ行ってしまいまして。」
「その幼馴染の名は?」
「エルムント、といいますが・・それが何か?」
マシアンの言葉に一瞬レオンの美しい顔が強張るのを、老女は見逃さなかった。
「い、いや・・気にしないでくれ。」
「そうですか。では俺はこれで。」
食堂から出て行ったマシアンを見送った老女は、レオンに向き直った。
「あんた、そんなにあの子の幼馴染とやらが気になるのかい?」
「何をおっしゃいます、アシュバさん。わたしは何も・・」
「嘘を吐くでないよ、レオン。あたしが何者か知っている癖に。」
老女―アシュバはそう言ってラヴェンダーの瞳でレオンの顔を覗き込んだ。
「あなたには何を隠してもお見通しのようだ。」
レオンはふぅっと溜息を吐いてアシュバを見て深呼吸した。
「昨夜、マシアンに件の幼馴染をこの家に泊まらせるよう命じたのは、他ならぬわたしなのです。」
彼の言葉を聞いたアシュバは満足気な笑みを浮かべた。
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