「お母様、薬湯をお持ちいたしました。」
「ありがとう、眞琴。」
その日の夜、眞琴が薬湯を載せた盆を持って千尋の寝室に入ると、千尋はゆっくりと布団から起き上がり、何かを読んでいる最中だった。
「何をお読みになっているのですか、お母様?」
「今まで書きためていた日記ですよ。」
「そうですか・・見てもよろしいですか?」
「ええ。」
眞琴が千尋の日記に目を通すと、そこには日々のささやかな出来事や家族への想いが綴られていた。
「眞琴、もしわたくしが死んだら、あの長持の中を開けなさい。」
「わかりました、お母様。」
「お父様のこと、頼みますよ・・」
千尋はそう言うと、眞琴に優しく微笑んだ。
数日後の朝、彼は静かに息を引き取った。
「お母様、こんなに早くお亡くなりになられるなんて・・」
千尋の遺体に取り縋って泣きながら、眞琴はまだ温かい彼の手を握った。
「雅代さん、お父様は?」
「部屋で塞ぎ込んぢまっているよ。まぁ、無理もないねぇ・・」
眞琴はそっと、千尋の顔を覆っている白い布を取った。
彼の死に顔は、とても穏やかなものだった。
千尋の初七日の法要を終えた後、眞琴はふと長持を開けてその中にある物を取り出した。
それは、生前千尋がつけていた日記帳だった。
一冊目の日記帳に目を通した眞琴は、そこに書かれてある衝撃的な事実を知り愕然とした。
(お母様は、男性でありながらお父様と夫婦として暮らしていた・・)
眞琴はページを捲る手を震わせながら、歳三と千尋が戊辰の戦を生き延びたこと、会津の戦場で知り合った女性の出産に立ち会い、その子を眞琴と名付けたことなどが書かれてあった。
『眞琴には、実の父親の存在を知らせたくない。いや、寧ろ知らない方がいいだろう。あの男は父親でありながら、眞琴を捨てたのだから。』
「お父様、お話があるの。」
「何だ?」
「わたしの実の、お父様は何処の誰なの?」
「どうして、それを・・」
歳三はそう言うと、眞琴が握っている千尋の日記帳を見た。
「お母様の長持の中から見つけたの。ねぇお父様、わたくしは・・」
「お前ぇは何も心配するな、眞琴。」
歳三は眞琴を抱き締めると、彼女を落ち着かせる為に彼女の背を優しく撫ぜた。
千尋の四十九日の法要が終わった後、光顕が内藤家を訪れた。
「先生、お忙しい中母の為に来て下さってありがとうございます。」
「いえ・・わたしの方こそ、告別式に参列できなくて済まなかったね。」
光顕はそう言うと、眞琴と歳三に頭を下げた。
「長谷川先生、後でお話したいことがあるんですが、宜しいですか?」
「ええ、構いませんよ。」
歳三は光顕とともに、“いぶき”の母屋にある茶室へと入った。
「お話とは、何でしょうか?」
「娘から、物騒な話を聞きましてね・・あなたが、見知らぬ青年に脅迫されているのを見たとか。」
歳三の言葉を聞いた光顕は、突然大声で笑い出した。
「それは誤解ですよ、内藤さん。眞琴さんが見かけた青年は、わたしの遠縁の従弟ですよ。」
「ですが、家を取り戻すと・・」
「それも誤解です。確かにわたしが住む家は、元はその従弟の父親のものでした。しかし、彼には事情があり、あの家を手放すことになったのです。」
「そうなのですか・・」
歳三はそう言うと、光顕が点(た)てた茶を飲んだ。
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