イラスト素材提供:十五夜様
1942(昭和17)年3月、東京。
「お義父(とう)様、随分御無沙汰しております。」
「千尋、よく来たな。」
千尋は子供たちを連れて、東京の土方本家に帰省した。
「まぁ、綺麗なお雛様ですわね。」
「非常時にこんな物を飾って非国民呼ばわりされそうだが、季節の行事はちゃんと祝いたいんだ。」
和室に飾られた美しい雛人形を見つめながら、篤俊はそう言うと溜息を吐いた。
「お義父様、この前歳三様からこんなお手紙が届きました。」
千尋はそう言うと、篤俊に歳三の手紙を見せた。
「千尋、歳三は常に死と隣り合わせで生きているのだ。このような手紙をお前に送ったのは、もう覚悟を決めているからだろう。」
「わたくし、歳三様には無事に戦地から帰って来て欲しいのです。」
「わたしも、そう思っているよ。あいつが居る中国戦線は、戦況が悪化の一途を辿っている。」
「祈ることしか、できないのでしょうか?遠い戦地に居る歳三様に、わたくしは何もすることができないなんて、悔しいです・・」
千尋はそう言って俯くと、ハンカチで涙を拭った。
「千尋、そう落ち込むな。あいつは必ず、元気な姿でお前たちの元に帰ってくる。だからお前は、歳三を信じてやりなさい。」
「わかりました。」
「さてと、湿っぽい話はこの辺にして、桃の節句の祝いをするか。」
篤俊は、そう言うと椅子から立ち上がった。
「睦っちゃん、わたしも手伝うわ。」
「まぁ千尋お嬢様、折角帰っていらしたばかりなのですから、お部屋でゆっくりと休んでいてください。」
「睦っちゃん、わたくしのことをお嬢様と呼ぶのは止めて頂戴。」
「何をおっしゃいます、わたしにとって、千尋お嬢様はお嬢様です。」
「ふふ、昔から睦っちゃんは変わっていないのね?」
「そういうお嬢様こそ。」
台所で睦と千尋がちらし寿司を作っていると、勝手口の戸を誰かが叩く音がした。
「わたくしが参ります。」
睦がそう言って勝手口の戸を開けると、そこには外套姿の青年が立っていた。
「どちら様ですか?」
「突然お訪ねして申し訳ありません。わたくし、長谷川と申します。土方篤俊さまはご在宅でいらっしゃいますか?」
「旦那様でしたら、ダイニングに居ります。わたくしがご案内致します。」
睦が長谷川を篤俊が居るダイニングルームへと案内している間、千尋は台所で桃の節句のご馳走を作っていた。
「旦那様、お客様がお見えです。」
「土方さん、長谷川です、お久しぶりです。」
長谷川がそう言って帽子を脱いで篤俊に頭を下げると、篤俊は少し不機嫌そうな表情を浮かべた。
「わたしと会うのなら、事前に電話や手紙で約束を取り付けるべきだろう?そういった手順を踏まずに、直接自宅に訪ねるなんて、失礼だとは思わないかね?」
「失礼なことをしているのは重々承知しております。ですが、火急の用で貴殿にどうしても会わねばならなければ・・」
「まぁ、いい。それで、わたしに何か用かね?」
「はい。実は、わたくしが経営している海運会社が3年連続赤字でして・・このままだと会社が倒産してしまいます。そこで、資金援助をお願いできないかと・・」
「長谷川君、仕事の話は今ここですべきではない。明日、会社に訪ねに来てくれ給え。」
「わかりました、ではわたしはこれで失礼致します。」
「睦、お客様を玄関までお送りしなさい。」
「かしこまりました、旦那様。」
睦が長谷川を玄関ホールまで送ると、長谷川はじっと彼女を見た。
「あの、わたくしに何か用ですか?」
「君、何処かで僕と会った?」
「いいえ。なぜ急にそのような事をおっしゃるのですか?」
「変な事を言ってしまって申し訳ない。それでは、僕はこれで。」
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