「環ちゃん、起きて。」
「どうしたんですか姐さん、そんなに慌てて?」
環が寝台で寝返りを打っていると、小春が彼を起こしに来た。
「すぐに支度して自分の部屋に来て欲しいって、ルドルフさんが。」
「わかりました。」
夜着から振袖へと着替えた環は、髪を結わずにそのまま部屋から出てルドルフの部屋へと向かった。
『ルドルフ様、環です。』
『入れ。』
『失礼いたします。』
環がルドルフの部屋に入ると、そこにはルドルフと、軍服姿の立派な顎鬚(あごひげ)をたくわえた男が座っていた。
『あの、そちらの方は・・』
『ルドルフ、彼女が例の舞姫か?』
顎鬚の男は、そう言うと環を見た。
『タマキ、この人はわたしの父だ。』
『お初にお目に掛かります、環と申します。』
環がそう言って男―フランツ=カール=ヨーゼフ帝に挨拶すると、彼は指先で顎鬚を少し弄り、座っていた椅子から立ち上がった。
『タマキというのか。年は幾つだ?』
『今年で14になります。家族は両親と兄の四人家族です。』
『話はルドルフから一通り聞いた。お前は、消息不明となった兄を捜す為、渡欧したのだな?』
『はい、そうです。』
『ルドルフとはどんな関係なのだ?』
『それは、どういう意味ですか?』
『ルドルフが一週間の視察予定が過ぎてもウィーンに戻らないのは、お前がルドルフを引き留めているからではないのか?』
フランツの言葉を聞いた環は、その意味を理解して顔を赤く染めた。
『わたしは、ルドルフ様とはそのような関係ではありません!』
『何故、そうだと言い切れる?』
フランツは、鋭い光を宿した蒼い瞳で環を睨んだ。
獲物を仕留めようとしている鷹のような彼の目を見た環は、恐怖で何も言えなくなってしまった。
『父上、タマキが怖がっております。それに、タマキはわたしとは疚(やま)しい関係ではありません。』
ルドルフはそう言うと、恐怖で震えている環の背を優しく撫でた。
『ルドルフ、何故ウィーンに戻って来ない? その娘と疚しい関係ではないのなら、戻ってこい。』
『父上、わたしはまだブタペストでやらねばならぬ事が残っております。それに、タマキの処遇についても考えねばなりません。』
『それはウィーンで決めればよかろう。ルドルフ、これ以上わたしに逆らうと、わたしにも考えがあるぞ。』
父の言葉に、ルドルフは唇を噛んだ。
『わかりました、父上。タマキとともにウィーンに戻ります。』
『わかればいい。タマキ、お前の処遇はウィーンに戻ってから決める。それまではおかしなことをしないように、わかったな?』
フランツは一方的にそう言うと、息子の部屋から出て行った。
『ルドルフ様・・』
『心配するなタマキ、わたしがお前を守ってやる。』
『はい・・』
ルドルフの部屋から出て自室へと戻った環は、小春に事情を説明し、彼女と共に荷物を纏めた。
「急にウィーンに行くことになるなんて、何がどうなっているのかわからないねぇ。」
「わたしも、状況が解りません。ルドルフ様のお言葉を信じるしかありません。」
環達が着替えなどの身の回りの物を柳行李に詰めていると、ゲオルグが部屋に入って来た。
『その籠では持ち運ぶのが大変でしょう、これをお使いください。』
『有難うございます、大切に使わせていただきます。』
環がゲオルグからトランクを受け取り、彼に礼を言うと、彼は環に向かって頭を下げた。
『この間の事は、誠に申し訳ありませんでした。』
『いいえ、もう済んだことです。それよりも、荷物を纏めるのを手伝って頂けませんか?』
『はい、喜んで。』
この時、環とゲオルグとの間に友情が生まれた。
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