1888年3月9日、長らく病床に臥せっていたドイツ皇帝・フリードリヒ1世が死去し、フリードリヒ3世が皇帝として即位していたが、不治の病に罹り在位99日後の6月15日に死去した。
相次いでドイツ皇帝が二人も逝去し、その座は若干29歳の皇太子であるヴィルヘルムが即位することになった。
皇帝の名代としてフリードリヒ3世の葬儀に出席していたルドルフは、そこで初めてヴィルヘルムと対面した。
黒髪で精悍な顔つきをしており、猛禽類のような鋭い目をしているヴィルヘルムは、自分と同世代であるルドルフを何かとライバル視していた。
『おや、これはルドルフ皇太子ではありませんか。貴方とは一度、お話してみたいと思っておりました。どうです、これから一緒にお茶でも如何です?』
『申し訳ありませんが、先約がありますので。』
自分からの誘いをそう断ったルドルフに、ヴィルヘルムの顔が怒りで歪んだ。
『ヴィルヘルム陛下、お気になさらず・・』
『ハプスブルク家の皇太子だからって偉そうにしやがって・・絶対にあいつを潰してやる!』
ヴィルヘルムはそう叫ぶと、遠ざかるルドルフの背中を睨みつけた。
『お帰りなさいませ、ルドルフ様。ドイツで何かありましたか?』
『いや、何もなかった。ただ、ヴィルヘルムの機嫌を少し損ねてしまったようだ。』
『ヴィルヘルムといいますと、新しく皇帝として即位された方ですか?』
『流石宮廷勤めをしているだけあって情報が早いな。まぁ、向こうがわたしをどう思おうが、わたしには関係のない事だ。彼は好きにはなれないが。』
ルドルフはそう言うと、ソファの上に腰を下ろした。
『またここに泊まるおつもりですか?王宮に戻らないと、エルジィ様が寂しがりますよ?』
『ああ、そうだな。お前の言うことを聞いて、今夜は王宮に戻るとしよう。』
『玄関までお送り致します。』
『いや、いい。表に馬車を待たせてあるから、人目につく。』
ルドルフは自分を見送ろうとする環にそう断ると、そのまま彼の自宅から出た。
だが、外に出たルドルフは、表に待たせていた馬車がない事に気づいた。
これはシュティファニーの差し金だとルドルフは思いながら、王宮まで歩いて帰った。
『ねぇ、昨夜皇太子様が徒歩で王宮まで戻られたそうよ。』
『何でも、皇太子様の馬車を皇太子妃様が勝手に帰されたそうで・・皇太子妃様も大人げない事を為さるのね?』
『そういう事を為さるから、ますます皇太子様から嫌われるのだわ。』
『そういえば、皇太子様は今どちらにいらっしゃるのかしら?』
『さぁ・・フロイデナウ競馬場で女の方と密会されるのですって。』
『皇太子様も懲りないお方ね。』
女官達が王宮内でそんな噂に興じている頃、ルドルフはフロイデナウ競馬場でレースを鑑賞しながら、環が来るのを待っていた。
だが、約束の時間から一時間を過ぎても、彼はなかなか現れなかった。
(事故にでも遭ったのか?)
ルドルフがフロイデナウ競馬場を後にしようとした時、一人の少女が彼の方へと近づいて来た。
『あの・・失礼ですが、ルドルフ皇太子様でいらっしゃいますか?』
『娘、何者だ?』
『わたくし、マリー=ヴェッツェラと申します。今後ともお見知りおきを。』
『そこを退け、お前には用はない。』
自分に纏わりつく少女をそう一蹴したルドルフは、慌てた様子で自分の方へと駆け寄って来る環の姿に気づいた。
『申し訳ありません、支度に時間がかかってしまって・・』
『いや、今から帰るところだ。』
ルドルフは背後から絡みつくような視線を感じて振り向くと、そこには先ほど自分に纏わりついてきた少女が柱の陰からこちらの様子を窺っていた。
『ルドルフ様、どうかなさいましたか?』
『いや、何でもない。』
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