「わたしに客だと?それは誰だ?」
「皇太子様にお会いしたいとだけおっしゃって・・どうなさいますか?」
「体調が悪いと言って嘘を吐き、客を帰せ。」
「かしこまりました。」
忠実な侍従・ロシェクはそう言うとルドルフの私室から出た。
仕事の邪魔をされない為に執務室のドアに内側から鍵を掛け、執務机の前に座ったルドルフが報告書に目を通していると、突然彼は息苦しさを感じた。
過労とストレスの所為か最近発作が度々起きることがあった。
ルドルフは呻きながら引き出しから吸入器を取り出そうとしたが、何故かいつも置いてある場所にそれはなかった。
呼吸が出来ず、助けを呼ぶこともままならない中、ルドルフの執務室のドアを誰かが叩く音が聞こえた。
「お兄様、いらっしゃる?」
外から聞こえて来たのは、ヴァレリーの声だった。
「ロシェク、本当にお兄様はこちらにいらっしゃるの?」
「はい、間違いございません。」
「鍵が掛かっているわ。ロシェク、鍵を。」
ドアの鍵穴がカチャリと回る音とともに、ロシェクとヴァレリーが慌てた様子で部屋から入ってくる姿をルドルフは蒼褪めた顔で見た。
「お兄様、しっかりなさって!」
「誰か、侍医を呼べ!」
「お兄様、わたしが誰だか解る?」
ヴァレリーの問いに、ルドルフは静かに頷き、意識を失った。
「ストレスの所為で発作が酷くなったのでしょう。暫く安静にしていてください。」
侍医のヴィーダーホーファー博士からそう告げられたルドルフは、気怠そうな様子で枕に頭を預けた。
「お父様、アレクサンドラです。」
「入れ。」
寝室にガブリエルを抱いたアレクサンドラが入って来ると、ルドルフは寝台から上体を起こして二人を見た。
「喘息の発作を起こされたとヴァレリー様から聞きました。もう大丈夫なのですか?」
「ああ。だが暫く安静にしていろと侍医から言われた。わたしが過労で倒れたという事をマスコミが知ったら、彼らは益々活気づくだろうな。」
「お父様、今は何も考えずに、ゆっくりと休んでくださいませ。」
「ガブリエルはもう寝ているのか?」
ルドルフがアレクサンドラからガブリエルへと視線を移すと、彼は母親の腕の中で寝息を立てていた。
「ええ。ヴァレリー様とエルジィにさっき沢山遊んでもらったので、疲れてしまったのでしょうね。」
「そうか。なぁアレクサンドラ、この子は将来どんな風に育つんだろうな?」
「さぁ、それはわたし達にも解りません。」
ルドルフが眠っているガブリエルの手を握ると、小さな彼の指はルドルフの中指を力強く掴んだ。
「赤ん坊は、いつ見ても飽きないな。アレクサンドラ、今すぐとは言わないが、暫くしたら二人目を・・」
「まぁ、お父様ったら。そのような事をおっしゃっているのでしたら、もう元気そうですね。」
アレクサンドラがクスクス笑いながらルドルフの方を見ると、彼も笑顔を浮かべていた。
「皇太子様、失礼致します。」
「素性が判らぬ客は追い返せと言った筈だ。何度も同じ事を言わせるな。」
侍従から来客を告げられたルドルフが不機嫌そうな口調でそう言うと、彼はどこか気まずそうな表情を浮かべていた。
「どうした、何かあったのか?」
「実は、ベルギーから国王夫妻がいらしており、今回の事で皇太子様から詳細を伺いたいとおっしゃって・・」
「解った。国王夫妻にはわたしが会おう。」
「お父様、大丈夫なのですか?さっき倒れたばかりだというのに・・」
「大丈夫だ。」
ルドルフが侍従と共に部屋から出て行くと、アレクサンドラは彼の事が心配になり彼の後を慌てて追った。
「ルドルフ、来たのか。」
「父上、国王夫妻はどちらに?」
「国王夫妻なら、隣の部屋にいらっしゃる。ルドルフ、顔色が悪いぞ。発作で倒れたばかりだというのに、国王夫妻に会うのは止めておいた方がいいのではないか?」
フランツはそう言うと、息子を慮(おもんばか)った。
シュティファニーの両親であるベルギー国王・レオポルド二世とその妻・マリー=アンリエットはルドルフの義理の両親に当たるが、ルドルフは一度も彼らと会うことはしなかった。
アフリカの小国を己の私有地にし、そこから大量のダイヤモンドを輸入しているレオポルド二世がかの国で犯した悪行の数々をルドルフは知っているだけに、舅に対して彼は嫌悪感しか抱かず、レオポルド二世もまた自由主義や民主主義にかぶれ、ハンガリー独立運動を支援している義理の息子を心底嫌っていた。
その憎い義理の息子の所為で娘が自殺未遂を図った事を知り、レオポルド二世は妻を伴って遠路遥々ベルギーからやって来たのである。
「国王夫妻が遥々ベルギーからやって来たのは、直接わたしに文句を言わなければ気が済まないからでしょう。どんな誹りもわたしは受けとめるつもりです。」
「そうか。だがルドルフ、わたしはお前が心配だ。わたしも国王夫妻と会うことにしよう。」
フランツとルドルフが国王夫妻の待つ隣室に入ると、ルドルフの姿を見たレオポルド二世は勢いよくソファから立ち上がり、拳でルドルフを殴った。
「貴様、よくもシュティファニーを殺そうとしたな!」
「落ち着いてくださいませ、陛下!」
「うるさい、お前は黙っていろ!」
怒りで興奮している夫を宥めようとした妻を邪険に振り払ったレオポルド二世は、ルドルフに向かってありとあらゆる汚い言葉で彼を罵倒した。
だがルドルフは一切舅に対して反論しなかった。
「どうか陛下、気をお鎮めになってください。ルドルフも今回の事については深く反省しております。」
フランツはそう言うと、舅に殴られ床に倒れているルドルフを助け起こした。
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