シュティファニーの事件から、5年の歳月が流れた。
ホーフブルク宮殿では、アレクサンドラの長男・ガブリエルの7歳の誕生日を祝うパーティーの準備で女官達が朝から忙しく動き回っていた。
「お姉ちゃん、直ぐに降りて来いよ、怪我をしても知らないぞ!」
「大丈夫よ、これくらいの木、登れるわ。」
王宮庭園の一角にある大きな菩提樹の木に、パーティーの主役であるガブリエルが登り、下ではガブリエルの妹・クリスティーナが不安そうにガブリエルを見つめていた。
「まぁガブリエル様、いけませんわ!すぐに降りてきてください!」
「ティナ、貴方の所為でみんなが来たじゃないの!」
木の上で妹に向かってそう言ったガブリエルは、自分に向かって降りて来いという女官達にそっぽを向いた。
「一体何が気に入らないんだよ、お姉ちゃん?」
「だって曽お祖父様、わたしにパーティーで軍服を着ろって言うんだもの!わたしが軍服嫌いな事、知っている癖に!」
「軍服は俺が着るから、お姉ちゃんはドレスを着ればいいだろう?だから、そんなところで駄々を捏ねないで降りて来いって!」
「嫌よ、嫌!」
ガブリエルはそう叫びながら女官達や妹の手から逃れようと暴れた時、ガブリエルが乗っていた幹が嫌な音を立てて亀裂が走った。
女官達が悲鳴を上げ、目の前で起きた惨事を見ぬよう両手で顔を覆ったが、その代わりに彼女達が見たものは、見知らぬ青年に抱き留められているガブリエルの姿だった。
「おやおや、これはとんだ暴れん坊の天使様ですね。」
クスクスと笑いながら謎の青年はそう言ってガブリエルに笑いかけると、彼の小さな身体をそっと地面に下ろした。
「お前、誰?」
「これは申し遅れました。わたしはレナード、本日付でアウグスティーナ教会の司教を任させることになりました。以後宜しくお願い申し上げます、ガブリエル皇女殿下。」
「司教ですって?ではお前は男なの?」
「はい、そうですよ。」
「嘘よ、こんなに綺麗な男、わたし今まで見た事ないもの!」
ガブリエルはそう言って青年を睨みつけると、そのまま彼に背を向けて何処かへ行ってしまった。
「お待ちください、ガブリエル様!」
「お姉ちゃん、待ってよ!」
女官達とクリスティーナがガブリエルの後を慌てて追った後、一人になった青年―レナードは溜息を吐きながら彼女達の後を追い、宮殿の中へと入っていった。
「君が、レナード=フェリックス司祭だね?」
「はい。ヴァチカンから本日付でアウグスティーナ教会の司教を任されました。大変ご無沙汰しております、マイヤー司祭様。」
「暫く会わない内に立派になったね、レナード。初めて君と会った時はまだ少年だったのに、時が経つのは早いものだ。」
「ええ。そういえば先ほど、王宮庭園でガブリエル皇女様にお会い致しました。」
「ガブリエル様に?」
「はい。菩提樹の木から落ちそうになっていたところを、わたしが寸での所で受け止めました。」
レナードがそう言って恩師の方を見ると、彼は今にも噴き出しそうな顔をしていた。
「どうなさいましたか、マイヤー司祭様?」
「君はとんだ勘違いをしているよ、レナード。ガブリエル様は皇女ではなく、君と同じ男だ。」
「そうでしたか。可愛いワンピースをお召しになられていたものですから、てっきり皇女様かと・・何て勘違いをしてしまったのでしょう。」
マイヤー司祭の言葉を聞いて顔を青くするレナードの肩を、そっとマイヤー司祭は優しく叩いた。
「誰しも間違いを犯すことはある。大丈夫だ、レナード。そんな事で皇帝陛下が君に罰を与えるような事はないよ。」
「そうですか・・」
「それよりも、今日はアレクサンドラ様の誕生日だ。大広間でパーティーが今夜7時に開かれるから、君もわたしと共に来るように。」
「解りました、マイヤー司祭様。」
その日の夜、大広間に現れたガブリエルは、レースをふんだんに使ったピンクのドレスを着て現れた。
その隣には、兄の手を握り、凛々しい軍服姿のクリスティーナが立っていた。
「まぁ、ガブリエル様、可愛らしいこと。」
「それにクリスティーナ様の軍服姿、凛々しいですわね。」
「ええ、本当に麗しいご兄妹だこと。」
招待客達は二人の姿を見ながら、そんな会話を交わしていた。
「ルドルフ、ガブリエルに軍服を着せろとあれほど言い聞かせておいただろう?」
「父上、ガブリエルの好きなようにさせてください。今日はあの子にとって大切な日なのですから。」
ルドルフはそう言って渋面を浮かべている父親を宥めていると、大広間にマイヤー司祭と一人の青年が入って来るのが見えた。
その青年の顔を見た瞬間、ルドルフの笑顔が引き攣(つ)った。
(レナード、生きていたのか!)
死んだ筈だと思っていたかつての恋人との再会に、ルドルフは激しく動揺しながらも、笑顔の仮面を被って二人の方へ向かった。
「マイヤー司祭様、お身体の具合はいかがですか?」
「お蔭様で大丈夫です、ルドルフ様。こちらはわたしの後任であるレナード司祭です。レナード、ルドルフ様にご挨拶を。」
「大変ご無沙汰しておりました、ルドルフ様。」
マイヤー司祭に促され、レナードは淡々とした口調でルドルフに挨拶した。
「レナード、後でわたしの部屋に来い。」
擦れ違いざまにルドルフがレナードの耳元に囁くと、彼は静かに頷き恩師と共にガブリエルの元へと向かった。
にほん