二宮翁夜話残篇25 なまけることが得だと思うのは大きな間違いだ
二宮翁夜話残篇【25】翁曰く、若き者は毎日能(よ)く勤めよ、是(こ)れ我(わ)が身に徳を積むなり。怠りなまけるを以(もつ)て徳と思ふは大(だい)なる誤りなり、徳を積めば天より恵みあること眼前(がんぜん)なり。今(いま)雇人(やとひにん)を以(もつ)て譬(たと)へん、彼(か)の男は能(よ)く働きて真実(しんじつ)なり、来年は我が家に頼むべしといひ、能(よ)く勤むれば婿(むこ)に貰ふべしと云(い)ふに至るものなり。是(これ)に反する者は本年は取り極(き)めたれば是非(ぜひ)なし、来年は断るべしと云(い)ふ様(や)になるは、眼前(がんぜん)の事なり。無智短才なりとも能(よ)く謹(つつし)み、能(よ)く顧(かへり)み、身に過(あやまち)無き様(やう)にすべし。過(あやまち)は則(すなは)ち身の疵(きづ)なり。古語(こご)に「身体髪膚(しんたいはつぷ)之(これ)を父母(ふぼ)に受く、敢(あへ)て毀傷(きしやう)せざるは孝の始めなり」とあり。人過(あやま)てば、身の疵(きづ)となる事を知らず、傷さへせざればよしと思ふは違(たが)へり。且(か)つ過(あやま)ちは身の疵(きづ)なるのみならず父母(ふぼ)兄弟(けいてい)の顔をも汚(けが)すなり、慎(つつし)まざるべけんや。【25】尊徳先生がおっしゃった。若い者は毎日よく勤めよ、これは自分の身に徳を積むことなのだ。怠ってなまけることがトクだと思うのは大きな誤りである、徳を積めば天から恵みがあることは眼の前の事実である。今、人を雇ったことでたとえてみよう。あの男はよく働いて真実である、来年は私の家で頼もうといわれ、よく勤めるならば婿(むこ)にもらおうということにもなるものである。これに反する者は本年は取り決めたから仕方がないが、来年は断わろというようになることは、眼の前の事実だ。知識がなく才能がなくても、よく慎んで、よく顧み、身にあやまちがないようにするがよい。過ちは、すなわち身のキズである。古語に「身体髪膚(しんたいぱっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」とある。人が過ちをおこすことは、身のキズとなる事を知らず、傷さえしなければよいと思うのは間違っている。また過ちは身のキズだけでなく父母や兄弟の顔をも汚すものなのだ、慎まなければならない。