胸中の太陽を昇らせる唱題行
日蓮大聖人の仏法の唱題行は、自身の生命の変革をもたらす最高の仏道修行です。また、題目を唱えることは、自身の仏の生命を呼び覚ますことです(「法華初心成仏抄」御書557頁)。唱題こそが仏界涌現の直道です。涌現された仏の智慧と慈悲の生命は、自身の生命境涯を豊かにし、自他ともの実現していく。さらに、自行化他の唱題が広がっていけば、仏の慈悲の生命に彩られた民衆の連帯が可能になり、人類の宿命をも転換していけるのです。 日蓮大聖人が広宣流布のために唱えられた自行化他の南無妙法蓮華経題目には、「無明の雲晴れて」(御書414頁)と仰せのごとく、無明を払う力があります。南無妙法蓮華経と唱えれば、胸中に仏界の太陽が昇ります。厚い雲のように太陽を覆い隠していた無明が晴れていくのです。胸中に仏界の太陽が昇れば、無明の闇は去っていきます。日蓮仏法は、大聖人御一人が太陽であるという宗教ではありません。大聖人御自身が胸中の太陽を昇らされたように、私たちの胸中に太陽を昇らせるための宗教です。もったいないことですが、わが身に日蓮大聖人と同じ仏の太陽の生命が昇るのです。このことは、日寛上人が「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(「観心本尊抄文段」)と仰せの通りです。まさに、唱題行は、民衆一人一人が太陽になることを教えた最高の成仏への道程なのです。 (『一生成仏抄講義』第2回)